「 "自分を大切にすること" に気付いてもらえたら」ジュエリー・アーティスト 小川直子 / インタビュー
【ドイツ在住のジュエリー・アーティスト 小川直子さん】インタビュー: 「ジュエリー・ハンティング・ブック」を通して、"自らの価値を再発見すること" を軽やかに、そして強く問いかける
日本で金属工芸を通してジュエリー制作を学び、ドイツのデザインレーベルBLESS のインターンを経て、ベルリンを拠点に、ジュエリーを用いて芸術表現をする「ジュエリー・アーティスト」として活動する直子さん。直子さんが作られた drawing シリーズのカタログ撮影をきっかけに「Jewelry Hunting(ジュエリー・ハンティング)」プロジェクトに興味を持った。 光を捉え、身に纏う。シンプルながらジュエリーの概念、そして既存の美意識や所有の価値観を問い直す、力強いこのプロジェクトを目にしたとき、とても胸が熱くなったのを今でも覚えている。ジュエリーの枠に留まらず、女性たちに優しく問いかけるこのプロジェクトは、 ジュエリーを用いたアートプロジェクトと言っても過言ではない。 今回、「ジュエリー・ハンティング」を一冊の本にまとめた「Jewelry Hunting Book(ジュエリー・ハンティング・ブック)」 のことを中心に話を聞いた。
ベルリンに来た理由 −BLESSとの出会いからジュエリー・アーティストとして独立
直子さんがベルリンへ移住したきっかけを聞かせてください。
小川:
私がベルリンに移住したきっかけはBLESSです。日本の会社で働いて体調を壊し、精神的にも限界が来てしまって、会社を辞めようか迷っていたとき、代官山のとあるショーウィンドウに、イヤホンのコードを綺麗にデコレーションした「Cable Jewellery(ケーブル・ジュエリー)」という商品が置かれているのを見て、「うわー!天才じゃないか、これを考えた人!」と感動して。よく見ると、デザイナー名にBLESSと書いてあって、 それからBLESSについて色々調べました。服のコレクションを多く発表しているのでファッションレーベルのようですが、毛皮で出来たウィッグ「Furwig」や、ソックスように革製の紐で編上げられたショートブーツ「Eram Shoes」、ヘアブラシの櫛の部分が長い髪の毛がすげ替えられたもの「Hairbrush」など、一癖あるプロダクトたちに強く興味を惹かれました。
そのころ(2005年~2006年)が、「日本におけるドイツ」年にあたり、ドイツを紹介する様々なイベントが開催されていました。そのひとつでBLESSが講演をすることを知り、自分のポートフォリオを持参して見に行きました。
とても刺激的な講演でした。例えば「ケーブル・ジュエリー」は、居住空間で邪魔者扱いされる家電のコードを加飾することで部屋を飾るジュエリーにする、というように、ひとつひとつのプロダクトに作られた理由がありました。「私たちはファッションデザイナーではありません。日常を改善するニーズに基づいた「サービス」としてプロダクトを作り、ファッションのマーケットで提供しています」という彼らの考え方がとても斬新で。公演後に思い切って話し掛けに行ったんです。当時英語がほとんど話せなくて、「あなたのところで働きたいです」としか言えなかったんですが、デザイナーの一人であるイネス・カーグが、「あなたの情熱は分かったから。メールでなら話せるでしょう?とりあえずメールで話しましょう」とアドレスをくれました。そこから半年ほどメールのやり取りが続きました。そのうちに「インターンという制度があるよ」と教えてくれて。それを聞いただけで舞い上がってしまって、「絶対にドイツに行く!」となりました。
渡独にあたりビザ関係のことを調べたら、ワーキングホリデービザを持っていれば、1年間ベルリンに滞在し、インターンをできるということが分かって。それでベルリンへ行くことを決めました。
中島:
BLESS との出会い、面白いですね。心身ともに疲れていたときに BLESS と出会い、そこからの原動力が格好いいです。
小川:
タイミングが良かったですよね。そこからインターン後に独立しました。渡独してから現地で、学生や語学生、アーティストや自営業者など様々な人がそれぞれのビザを取得して暮らしていることを知りました。BLESSで社員として働くことは叶わなかったので、自分も「フリーランスビザにチャレンジしてみようと」と思い至りました。「ジュエリー・アーティスト」としてビザを申請して、2年の滞在許可が下りました。イネスから「あなたはジュエリーを作れるのだから、自分の仕事を始めてみては?」と言ってもらえたことも、作家活動を始める後押しになりました。
多種多様な女性たちと作り上げた「ジュエリー・ハンティング・ブック」
中島:初めて「ジュエリー・ハンティング」を拝見したとき、光と影で生まれたジュエリーを "ハンティング" する感覚に面白さを感じ、さらに "アクセサリー" そのものの概念を考えるきっかけとなりました。今回お取り扱いさせていただく「ジュエリー・ハンティング・ブック」を作られたきっかけを教えてください。
小川:
2020年初めの頃、ゆう子さんに drawing シリーズのカタログ撮影をしてもらったじゃないですか。あの頃、東京のギャラリーから、2020年の秋に個展をしませんかと誘って頂いていたのですが、世界中でCOVIDウィルスが蔓延し始めたため、開催を延期してもらったんです。この先どうなるか分からない中、もう生き残るので精いっぱいです、と。無期延期で時間に余裕ができたので、展示内容を見直すことにしました。やりたいことは別にあったんですけど、実現不可能そうだったので、そのときの状況も考えて、できることをもう1回考え直しました。drawingシリーズのジュエリー
2011年から続けてきた「ジュエリー・ハンティング」というプロジェクトがあって、写真の展示やネット上での発表など色々な形式で展開してきました。それを本の形で提示するというアイデア自体は以前からあったのですが、この個展のタイミングで発表する事にしました。まず始めにアート・ディレクターの門倉未来さん(本のエディトリアル・デザインを担当)に相談をしました。未来さんは、2015年に東京庭園美術館でこのプロジェクト実施した時に一緒にお仕事をして、コンセプトもよくを知ってくれていたので。
本の中で何を見せるのか、写真を載せるならばそれは私が撮影するのか、など方向性について二人で話し合いました。最終的に、私ではない人物にプロジェクトを実践してもらい、その経過をレポートした本にすることが決まりました。写真家のエイリュル・アスランさん(Eylül Aslan)に、写真でレポートすることをお願いしました。彼女は未来さんのお知り合いで、初めて彼女の作品を拝見したとき、すごく共感できたんです。同じ景色を私も見ている、どうしてこんなに上手に切り取ることができるんだろう、と感動しました。撮影が実際にスタートしたのは2021年ごろだったかな、パンデミックで行動が制限されている中、1年ぐらい掛けて撮影してくれました。
そして、細谷みゆきさんに文章の執筆をお願いしました。彼女は文筆家で、私の友人なのですが、以前からずっと「ジュエリー・ハンティング」のプロジェクトに興味をもってくれていて、彼女ならきっとプロジェクトで体験したことを言葉で的確に伝えてくれるのではないか、と思いました。エイリュルさんと細谷さんは互いに会ったこともないですし、育った場所も環境も違うのですが、この二人がプロジェクトを通して感じ取ってくれたものは同じでした。この二人の写真と文章なら、プロジェクトで得られるものを本の読者に追体験してもらうことが出来るのではないか、と考えました。
これまでずっと一人で制作活動をしていたんですが、創作の可能性を広げるために、「ジュエリー・ハンティング」は色々な人と関わるプロジェクトにしました。プロジェクトが参加者やクリエイターさんによって次々に展開されていくのを見ると、とてもワクワクします。
「自分を大切にすること」に気付いてもらえたら −作品を通して伝えたいこと。
小川:
私が日本で働いていたのは、貴金属を用いた「ファイン・ジュエリー」ではなく、イミテーション素材の安価なアクセサリー、いわゆる「プチプラアクセサリー」を作るメーカー会社でした。ハートモチーフやグラスストーンを使ったきらきらしたネックレスやイヤリングなど「かわいい」アクセサリーを多く作っていて、私はそこのデザイン部署で働いていましたが、ストレスで身体を壊したんですよね。ストレスの原因が分からないから、精神的に負担になることは全てやめようと思って、仕事を辞める事にしました。それからベルリンに移住しました。ベルリンで色々な女性に出会い、制限されることなく自分の意思で生きようとする様を目の当たりにし、自分のことを振り返りました。
思い返してみると、私がいたアクセサリー業界は、デザイナーに女性が多いんですが、こういうものを作って欲しいと指示を出したり、仕入れを担当するのは男性が多い印象がありました。中には女性がその職についていた会社ももちろんあると思いますが。
私が入社したその日に、男性の上司に呼ばれて行くと、上司は机の上に紙を置いて「僕たちの会社はね」と言いながら、その紙に三角形を描き始め、「この「女性のピラミッド」の「一番下にいる人たち」に向けて、アクセサリーを作っているから」と説明するんです。「君は大学院まで行って個性を表現する勉強をしてきたのだろうけど、僕たちに必要なのは、この「一番下にいる人たち」に売っていくものだから」と言われました。
日本の女の人には、生まれてから幼稚園生~小学生~中学生~と成長して行く中で、周りから「こんな女の子がかわいい」とか「女の子がかわいいと思うもの」を教えられ、実はそれは男性が女性に持つ理想像が根源にあるのだけど、無自覚に、脈々と、体に染み込ませてきてしまった「かわいい」の概念があるじゃないですか。だから、デザイナーの職にはその「かわいい」を絵に落とし込むことができる、女の人が多かったのではないかと思います。
薄利多売のビジネスなら、大衆とはどういう人たちのことなのか、その人たちが何を求めてるのかを前提に商品を考えますよね。私が勤めていた会社は、上司が「ピラミッドの一番下にいる人」と表現した大半の女の人に向けて、「かわいい」アクセサリーを作ってきた。つまり会社は「多くの女の人は「かわいい」アクセサリーを求めている、「かわいい女の子」になりたい人たち」だと考えている。それが上司の説明で分かって、ぞっとしました。当時はもうクビにされたら生活できないし、辞めたら何もないし、会社にしがみつくしかありませんでした。改めて当時の事を思い出すと、求められるアクセサリーのデザインをすればするほど女性蔑視に加担しているようで、心が折れてしまったのだと思います。
中島:
すごいお話を聞いてしまいました…。ひどい話に正直驚きました……。
昨日、細谷みゆきさんが書いている「権力とは状況の定義権である」という文章について調べました。誰が言ったのかなと思って。フランスの社会学者であるミッシェル・フーコーが本で書いた一文でした。
このことを引用して記事を書いているカウンセラーの日本人女性を見つけたのですが、その方は家庭内暴力やDVに関する記事を書かれていました。その記事によると、東日本大震災後に家庭内暴力の増加について話題になったのは、震災後半年も経ってからだそうです。なぜなら、男性が上層部で番組を作っているため、男性にとって不利なことは特集や記事としてあまり取り上げられないのが残念ながら通例なんだそうです。
そんな中、「COVIDパンデミックのロックダウン中、ヨーロッパではDV被害の相談が130パーセントに増加した」という海外の報道をNHKが大きく取り上げたそうです。感染拡大で報道現場が混乱状況に陥っていたため、女性ディレクターの「ヨーロッパのDV相談増加のことを取り上げましょう」という企画が通ったのではないか、とそのカウンセラーの方は書いていました。日本のDV防止法が国会で成立したのも、当時複数の女性党首の存在もあり、重要法案の隙を縫って可決されたという説もあるようです。
そんなことを調べながら、細谷みゆきさんの文章の次のページに綴られている「History and Reflection」を読んで、本当に驚きました。この年表を見ると、日本は1985年に国連と女子差別撤廃法案を締結し、そこから男女雇用均等法などを進め、男女平等の社会作りをしていると思いきや、残念ながら現在の日本で全然そうなっていない。
直子さんのプロジェクトとこの本をきっかけに、本当に様々なことに気が付くことができました。個々人が何かしなければならないとは思っていませんが、意識しないといけないことだと思います。さらにこの本や直子さんのプロジェクトはとても軽やかでありながら、強い心があって、すごく人を説得させる力がありますよね。フェミニストと呼ばれる方の中で、一部の過剰の人が声を高らかにしすぎると、ちょっと敬遠しちゃう人も中にはいらっしゃるじゃないですか。
小川:
私はまず、女性でも男性でも、個人が無視されてしまっている現状にそれぞれが気付かなくては、と思っています。周りは関係なく優先すべきは自分の心で、自分を一番大切に出来るのは自分なのだと気付くことが、第一歩だと。
フェミニストの方々は、もうそこに気付いている人たちで、女性を縛る制度を変えるために行動している。本当に戦っているのだから、それを攻撃的だと感じるのは当然でしょう。怒りを感じた時は、本当に怒らないと伝わらないですし。
最近買ったドイツの子供向けの本(「Mein erstes Aufklärungsbuch:初めての性教育の本」)の中に、自分の感情とどう向き合うかについての章があって、「あなたがどういう感情を抱いているのか知り、それを周りに示すことは、良いことである」と書いてあるんです。「感情はあなたのもので、感情を抱くことは、親であろうと、家族であろうと、大人だろうと咎めることはできない」「ただ、なぜ怒っているのか、何が悲しいのかという理由を説明できたら、周りの人はあなたの意思をより深く理解できるよ」と。逆に日本だと、どうしても「我慢しよう」になってしまう。自分の感情で周りの人を不快にさせてしまうから我慢しよう、と自分でブレーキを掛けてしまう。それがね、私もなかなか止められないんです。酔っ払いやおかしな人から不快な言葉を投げつけられたら、本当は怒り返していいのに、自分が我慢すればこの場が丸く収まる、と萎縮してしまって。そういう癖を変えないと本当に駄目だなと、その本を読んで痛感しました。自分の感情に向き合わず蓋をしつづけると、そのうち心が死んでしまう。
ゆう子さんが、最近ベルリンであった農家の人たちのデモに遭遇した話をしてくれましたよね。デモの参加者は自分の苦しい状況や怒りを伝えようとしている。「自分の意思を表明してよい」と自分で思っていれば、デモはできるし、デモを見る側に立った場合でも、参加者が意思表明をしていることを受け入れることができる。一方で、とある記事で「我慢をし続けている人は、他人の自由が許せない」という一文を見かけ、デモを受け入れられない人間の心理を裏付けしているな、と思いました。
中島:
ベルリンではそこかしこで頻繁にデモがありますが、6年以上ベルリンに住んでいながら、ちゃんとデモを見たのは初めての経験でした。たまたま遭遇した今回のデモは、「抗議すること」、「自分の意見を主張すること」を目の当たりにした、 とても特別な機会になりました。日本に住んでいた頃は、性差別はおろか人種差別に関しても無頓着だったので、残念ながら日本はこういったことに気付きづらい環境だと感じました。 先ほど少しお話に出た、日本の「我慢しよう」という考えが根付いている社会で、自分を大切にしていく方法はあるのでしょうか。
小川:
2022年に東京で個展を開催する際に、「me and you」というコミュニティーメディアを運営されている野村由芽さんと竹中万季さんに、個展の告知をして頂いたんです。彼らは「「わたし」と「あなた」という小さな主語を大切にしながら、個人的な思いや感情を尊重し、社会の構造まで考えて行く場所」を作り、そこで、ジェンダーに関する様々な企画やプロジェクトのほか、自分を大切にするってどういうことなのかとか、それを実践している人を紹介しているんです。「me and you」の告知を見て個展に足を運んで下さった方がかなりいました。例えば、こうしたメディアにアンテナを張っている方々は多分、「自分を大切にすること」が理想ではないと分かっていて、積極的に具体的な方法を探しているし、実践している。日本でそうした場づくりをしたり、共感して繋がっていく人がいる事を知って、とても希望を感じました。
私個人は、母からの影響がとても大きいと思います。母はずっと、女性である事で体験した不平等や不遇を私に語って聞かせたり、そうした不当を強いる人に対しても抗議するような人だったんです。どうやったら日本でその精神的強さを保ち続けられるのか、不思議だったんですけど。
多分、母が中学高校時代に受けた教育が彼女を支えているんだと思います。カトリック系のミッションスクールの女子校で、元々戦前からある学校だったと思うんですが、戦後すぐに女子部が設立されて、女子教育に力を入れてきたそうです。校長先生である司祭が朝礼で、「選ばれしものよ。あなた方はしっかりと学び、これからの社会の中で先頭に立って行くのです」と語り掛けるのだそうです。母はそこで、性別に関係なく個人を尊重されたし、自分自身を磨いてきた。だから、母は社会の中で自分が置かれている現状にとにかく納得がいかなくて、よく怒っていました。そうした母を見て、私も娘としてまたは個人としてどう向き合うべきかを、よく考えさせられました。
「財産は残せないけど、身に付いたら剥がすことは出来ない、教育は受けさせるから」と、子供の教育を一番大切にしてくれました。それは本当に感謝しています。現在こうして作家活動ができるのも、私の意思を尊重してくれた母と父のお陰だと思っています。
インタビュー後記:「光」について
「写真を撮りたい」という衝動は様々あるが、「この瞬間を写真で永遠のものにしたい」と強く駆られるときは、美しい「光」が予告なく出現したときだ。その衝動や心の動きとジュエリーを結びつけた「ジュエリー・ハンティング」プロジェクトを初めて目にしたとき、驚きと共感が私の中で交じり合った。このプロジェクトや本は私に、「女性として生きること」、「自分を大切にすること」をもっと多面的に問いかけ、これまで見えづらかった「性差別」に気が付くきっかけを与え、さらに「心の拠り所はどこにあるのか」というクエッションにそっと語りかけてくれた。
「ジュエリー・ハンティング・ブック」を通して、小川直子さん、エイリュル・アスランさん、細谷みゆきさん、3人の女性の問いかけに目と耳を傾けると、今まで気が付かなかったことや、新たな視点が見えてくる。ぜひ、手に取って読んでいただきたい。
小川直子さん / Naoko Ogawa
1979年、神奈川県生まれ。多摩美術大学立体デザイン科クラフトデザイン卒業後、東京芸術大学大学院工芸科彫金専攻修了。2006年に渡独し、デザインチーム『BLESS』のベルリンスタジオでインターンとして働く。2007年よりドイツに拠点を置き、ベルリンと東京でジュエリーを用いた制作活動を開始。装身という概念を問い直し、人・服・ジュエリーの相互関係に着目する小川の『ジュエリー』は、身に着けてはじめて完成するようデザインされている。ヨーロッパを中心に精力的に作品を発表する。
https://naokoogawa.com/
取材・文・撮影 =中島ゆう子
▼関連商品
Jewelry Hunting Book / ジュエリー・ハンティング・ブック