「手を使う仕事で、紙と関われること。製本は自分にとってパーフェクトだと思った」手製本家・小関佐季さん / インタビュー後編

【ドイツ在住の手製本家・小関佐季さん】インタビュー後編:製本を始めたきっかけやドイツの職業訓練・マイスター制度について

ベルリン在住の写真家・中島ゆう子がヨーロッパ在住のアーティストにお話を伺い、不定期で更新するインタビュー企画です。第一回目はドイツで Ausbildung(アウスビルディング:職業訓練)を修了し、手製本家として活躍している小関佐季さんをご紹介します。

武蔵野美術大学卒業後に渡独し、紆余曲折を経て、現在はベルリンの クルンダー製本工房 で働きながら、自身でもさまざまプロジェクトを制作している佐季さん。彼女とは長年の友人で、共通の知人が企画したピクニックを通して知り合う、いかにも "ベルリン的" なきっかけで出会った。彼女が何をしているかは何となく知っていて、なかでも彼女が作る美しい草木染のノートに以前から興味を持っていた。手触りの良い、爽やかなノートを初めて手にした時、このノートについて、そして彼女がやっていたこと・やっていることについて深く知りたくなり、インタビューを申し込んだ。

前編 では、彼女が制作しているノートプロジェクトのことを中心に、草木染に興味を持ったきっかけ、さらに今後の目標について今回の後編では、製本を始めたきっかけや、ドイツ移住の経緯、彼女が受けたドイツの職業訓練、現在働いている工房やマイスター制度のことについて話を聞いた。


製本との出会い:「あのビビッときた感覚は今でも覚えている」

中島:
佐季ちゃんといえば、美しい草木染のノートを作っている印象がとても強いのだけど、手製本に興味をもったきっかけは何だったのかな?

小関:
手製本に興味を持ったのは日本で大学生をしていたとき。グラフィックデザインを勉強する視覚伝達デザインコースに入学したの。入学当初は広告系企業に就職してアートディレクターとして働く未来を何となく想像していたけど、どうしてもパソコンを使ったグラフィックの授業にグッとこなかったの。デザインソフトを使って線を引く、そういうことよりも自分にとってもっと魅力があったのは、タイプフェイスのデザインと、手を使った作業だった。手で綺麗な線を引き、活版印刷の授業で字を組む、そういった手と感覚を使った作業が楽しかった。だから将来はパソコンでずっと作業する仕事に自分は向いていないだろうなって1年生のときに思い始めたの。当時から紙もとても好きで、1年生の夏休みに紙漉きをしたり、いろんな紙屋さんへ行き、紙を触ったりしていて。

そんな中、3年生の時に製本の授業で初めて本を作ったとき、とにかくすごく楽しくて、今でもあのビビッときた感覚は覚えてる。授業内容はブックデザインの延長線で、本をデザインする上で本の構造も知っておきましょう、みたいな簡単なものだったけど、「これやりたい!探していたものを見つけた!」と熱くなったの。手を使う仕事で、紙と関わることができる "製本" は自分にとってパーフェクトだと思った。そこからすぐに、製本の先生のところに通い始めて。大学と並行して週に一回その先生のところに行き、一番工程が多い製本方法であるパッセカルトン(ドイツではフランツバンドと呼ばれる)を習い、数ヶ月かけて先生と一冊、革張りの本を作ったの。大学の卒業制作も本の作品を制作したのだけど、それは製本というより「本の作品」で、もうちょっとアートに近いものだった。

 

旅をきっかけに「ドイツ」に触れる。
今の工房との出会いから職業訓練を始めるまでの道のり。

中島:
製本と出会ったタイミングで外国に住みたいって気持ちも強かった、と話してくれたけど、どうして移住先をドイツにしたの?

小関:
製本と出会って、「何これ、すごくやりたい!」と思ったとき、製本家は外国で学んでいる人たちが多いことを知ったの。というのも、日本やアジアは製本のやり方が独特で、大昔は本を平置きしていたんだよね。時代劇を観ると和綴の本って平置きで登場していると思うよ。なぜなら和紙はヨーロッパの紙と比べて薄いから、袋とじにしているの。私が興味を惹かれたのは、レザーの本とかのヨーロッパの製本方法だった。今書店で見られるハードカバーは全部ヨーロッパから来ている製法で、本の形がヨーロッパのものだから、海外で製本を学びたいと思ったんだ。

移住するにあたって自分にとって大事だったのが、「親の支援なしで自立すること」だった。自分で自立していけそうな国で、学費がそんなにかからない国って考えたら、移住先の有力候補が自動的にドイツになったの。元々旅が好きで大学生のときに1ヶ月バックパック旅行をしていたのだけど、ヨーロッパへ訪れたときに、ドイツが私の中では断トツ印象が良かった。

大学を卒業する頃、2つ上の先輩でハレ(ザクセン・アンハルト州の都市)の大学で勉強している日本人の女性を見つけて、ドイツに製本を勉強できる大学があることを知ったんだ。ドイツは良い人が多かったし、学費も安いし、物価も他のヨーロッパ諸国に比べたら安いから、貯金をすれば自分で何とかできるかもしれないと思って、ドイツ・ハレの学校へ行くことをまず決めたの。教授ともアポイントメントを取れて、ハレへ行き、ポートフォリオを見てもらったのだけど、この学校は Buchkunst(アートを本を通して表現すること)を学ぶ場所だった。当時私もふわふわしていて、Kunst(アート)がやりたいのか正直あんまり分からなかった。製本はすごく楽しいけど、アートがやりたいわけではなかったから、合ってなかったと思う。多分教授も分かっていて、「違うと思うよ」とはっきり言われたんだ。中島:
ドイツ移住の第一候補の都市がハレだったのは意外! 工房や Ausbildung(職業訓練)との出会いを聞かせてくれる?

小関:
それから、ベルリンの大学でテキスタイルコースの勉強をすることになるのだけど、夏休みに今の工房でインターンをしたの。インターンを通して、マイスターのクリスティアンと娘のアレックスの働く姿を見て、自分は多分職人の方が合っているだろうなと思った。特に魅力的なのが、職人でありながらアーティストの人といっぱい仕事をするからクリエイティブな側面があるし、本を作るって行為はブックアートと一緒だけど、職人として技術がずっと毎日磨かれていく。考えていくうちに自然とそっち(職人)の方にシフトしていき、職人になるために職業訓練をやりたい、という気持ちになった。

職業訓練をやり始めたきっかけの一つに、ドイツに長く住むことを想定したこともあって、年齢的にも職業訓練を受けるラストチャンスだった。

ドイツって紙社会だから、外務省とかに専門工房があるの。国会議事堂や役所、図書館にもそれぞれお抱え製本工房があって、そこで誓約書などを製本していて、図書館の場合は本の修理を行っているの。そういうところが特別素敵な仕事かは分からないけど、製本家として働くチャンスは日本よりもドイツの方が多い。ただ、もし私が応募する場合は、絶対条件が「職業訓練の修了(=Geselle(職人)であること)」だった。

私は日本の 美篶堂で製本職人として2年半ほど仕事もしていたし、ドイツでも製本をしていたから経験はあるけど、「職業訓練を受けていないから応募すらできない」ということに直面した時にいろいろ考えて、既に全部やったことがあったとしても、職業訓練は多分受けた方がいいと思った。そこでマイスターを持っているクリスティアンに職業訓練がやりたいって伝えたの。最初はクリスティアンが高齢で指導するのが難しい、という理由で断られたけど、「ではドイツ全土で職業訓練を受け入れてくれるところを探します」と話したら、「ストップ!では職業訓練でメンターとして指導しよう」とGoサインをもらえたんだ。2021年9月から始めて、期間でいうと1年8ヶ月とかかな。

中島:
職業訓練やマイスター制度はドイツ独特のものだけど、日本でも似たようなものがあるのかな?

小関:
日本にはないよね。ドイツでは職業訓練を修了した製本家たちのことを Gelernte Buchbinder と呼ぶのだけど、当時私はそれを持ってなくて、アレックスやクリスチャンに「どこで習ったの?」と不思議がられた。「なんでできるのに(職業訓練などで)習ってないの?日本はどういう仕組みなの?」って言われて、日本はその場で教えてもらうじゃない。

職業訓練を始めたばかりのころは「私はもう全部できるから」って思っていたけど、実際は知らないことがいっぱいあった。工房で働きながら同時に学校で勉強をするのだけど、マテリアルのことや化学のこと、さらに法律的なところも学校で学び、すごく面白かった。セオリーの話とかは日本だったらやらないからね。
中島:
家族経営ということもあって、工房はアットホームで温かな雰囲気で、個人的に3人の間に信頼関係と絆を感じたよ。3人の信頼関係が生まれたなって思ったのはいつ頃だった?

小関:
インターンのときからだと思う。実際は分からないけどね。クリスティアンはあんまり言わないの、何がいいとか悪いとか。

クリスティアンには職業訓練で教えた弟子のような人が私を含めて6人いるのね。そのうちの半分ぐらいはもう製本していなくて、現在は私とアレックスともう1人の女性が製本を続けてる。その女性は60歳くらいなのだけど、今もすごく仲良くしてるんだ。

彼女の工房へ通っていた日本人の方にたまたま出会う機会があったのだけど、私が工房でインターンをしていた頃、クリスティアンが弟子であるその女性に「すごいよくできる子が来た。言ったことは絶対に守るし、必ず道具も元の場所に全部返却して、あんなにできる人は見たことない」ってとても褒めていた、というエピソードを聞いて、その場でめちゃめちゃ泣いたの(笑)。でもね、言わないの、直接。多分恥ずかしいから言わないのだと思うけど、そのときはそう言われてすごく嬉しかった。インターン中は何も言われずクールな感じで終わっちゃったからね。そう(信頼してくれていた)思ってくれていたんだな、2人とも見ていてくれていたんだなって。信頼関係かは分からないけど、そのときに多分信頼できるなと思ってくれたのだと思う。外国人で完全アウェーの中、本当に2人は良くしてくれていた。2人もこんなにずっといるとは思わなかったと思う。2016年のインターンからのお付き合いになっているから、すごいよね。


"マイスター" がいなくなってしまう? 悲しい問題を抱えるドイツ。

中島:
ベルリンの老舗手製本工房のマイスター・クリスティアンの元、技術をさらに磨き、テストも無事に合格。手製本分野の職業訓練を修了して職人になった佐季ちゃんの行動力はすごいし、とても尊敬しているよ。今後はマイスターも取りたいと思っているのかな?

小関:
やっとチャンスが来たなって思っている。職業訓練を修了していないとマイスターは取れないからね。だから、考えられるな、やりたいなと思っているけど、職業訓練期間中も含めて、この何年間かずっとマイスターをやるメリットをすごく探してる。デメリットはないのだけど、メリットも正直あまりなくて。

現在、製本の分野の若い職人でマイスターを目指す人が減ってきていて、ドイツ全土でマイスターをとったのも今年は2人だけなの。狭き門だから、だからこそ価値はあるのかもしれないのだけど。

ただ、多くの工房・アトリエの経営状況は結構ギリギリだと思うのね。うちの工房がどういう状況かは分からないけど、私を雇うときも週5日で働きたいって言ったときに、「そんなに払えない。でもいなくなって欲しくないから週3日でどうですか?」って言ってくれて。週3日で働くことに私は満足しているのだけど、私と一緒に職業訓練の学校に通っていた友人が Reinickendorf(ライニッケンドルフ)の工房で当時働いていたけど、彼女の場合、職業訓練が終わった後に Tschüss(ドイツ語で「さようなら」)だった。職業訓練以降は職人としてのきちんとしたお給料を支払うため。職業訓練中は学校へ行きながら働くから、お給料はすごく安いんだよね。週に20数時間しか働いていないからね。中島:
国は職業訓練を受け入れている会社や工房、施設に補助金とか出してないのかな?このままだと物作りや職人の精度が下がってしまうし、マイスターがいなくなっちゃうよね?

小関:
多分やってない。それがあればいいのにねってみんな言っているよ。ドイツ全体で製本のマイスター学校って3つしかなくて、そこも多分毎年やっていないんじゃないかな。おそらく誰も来ないから、2年に1回とかそういう頻度でしかやっていないと思う。

あと製本のマイスター不足の原因として一番大きいのは、外務省とか国会議事堂の公的機関の製本工房以外、全然お金にならないんだよね。残念だけど、あまりにもお給料が低すぎて。さらにマイスター学校へ行く場合、すごくお金がかかるの。学費を払うことができないから、結局それも大きい。学校で技術をさらに学びながら同時に働かないと生活が回らないから、現実的ではない。

昔はマイスターじゃないと工房を持てなかったのだけど、製本に関しては十数年前からマイスターなしでも工房が持てるようになったんだ。だからアレックスもマイスターを持っていないけど、工房を継ぐことができたの。となると、マイスターって何ができるのって言ったら、もう職業訓練を受け入れて指導することぐらい。私ももうちょっと経験があったら誰かを指導してみたいと思うけど、それ以外の魅力っていうのが、正直あんまりないんだよね。時間と労力をかけてタイトルのために頑張るのか。もちろんそれ以外の魅力もあるんだけどね。手でやる箔押しとか、そういう技術を習得できるし、革のことなども勉強するから、おそらく私は楽しんでできると思うけど…。でもマイスターを取った後にそれがすごくポジティブに働くかどうかは分からない。

たまにご高齢のお客さまがアレックスのことをマイスターリン(女性のマイスターの呼称)と呼ぶのだけど、「私はマイスターじゃないから」と言っているよ。マイスターを取っている人と職業訓練のみをした人とは、思っている以上に違うのだと思う。マイスターを持っている人は本当にすごいと思うよ。あんな大変なことやったのだな、って職業訓練を受けたからより思うんだ。 

インタビュー後記:「職人力」について

彼女がどんなきっかけで製本を始め、さらに現在働いている工房との出会い、職業訓練を受けた理由を聞くことができて、個人的にとても刺激を受けたインタビューとなった。

学問や教養を学ぶ大学とは違い、現場で実習生として技術を学びながら働き、学校でセオリー等を勉強する職業訓練は、職人を志す人々にとってとても魅力的な場所だ。ドイツ製品の高いクオリティは職人、そしてマイスターたちの高度な技術力によって支えられていると私は思っている。将来ドイツにどのくらいの 製本・手製本のマイスターが残っているのか考えると少し不安で悲しい気持ちになるが、彼女が目を輝かせて話してくれた「職人として、技術が毎日磨かれていく」ことは美しく、形を変えてもその精神は受け継がれていくことを切に願う。

最後に、インタビューを通して様々なお話を聞かせてくれた佐季ちゃんにお礼を伝えたい。また、私の作品を収納するケースを彼女に作ってもらうこととなり、彼女の作業する美しい姿を見させてもらい、「職人」として働く姿勢に深い感銘を受けた。ありがとう。


〈 今回お話を伺った人 〉
小関佐季さん
愛知県名古屋市生まれ。 美術大学在学中に手製本と出会う。卒業後、手製本会社 美篶堂にて働きながら製本を学び、2015 年に渡独。 ベルリンの手製本工房 Buchbinderei Klünder でのインターンを経て、フリーランスの製本家として働く。 2023 年6 月、Buchbinderei Klünder にて手製本職人のAusbildung(職業訓練) を終了し、現在は職人として働きながら、2017 年に始めたライフワーク“そう”の活動を続ける。
https://ozequisaqui.com/


取材・文・撮影 =中島ゆう子

  

▼インタビュー前編
「今に満足しないで、とにかく毎日やって、どんどん上手くなりたい」手製本家・小関佐季 / インタビュー前編


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