2024年 2月 24日
日々と旅のあわい −「思いがけなさ」について
二拠点生活中のリトルプレス編集人による
旅の醍醐味のキーワードにまつわるエッセイ。
本や映画なども参考にしながら、日々と旅の間(あわい)に触れていたい。
寄稿者:長尾契子
18時にはすっかり夜の帳が降りる季節になりました。いつも通り、懐中電灯を片手に近所の土手を歩くと、白猫2匹と茶トラ猫が井戸端会議中。私を見た途端に散会してしまった彼らの集会跡を通り過ぎて土手を降り、田んぼの畦道に出ると、西の低い夜空にはアルタイルが。夏の大三角形のメインキャストとして煌々と夜空の舞台に躍り出ていたこの星も、今や冬籠もりのしたく中。真夜中に充電中の電子機器みたいに寝息のような光へと変わっていました。500mほどの間を空けて並行に流れる2本の小川にはさまれて田んぼが広がっています。水に恵まれた岡山で、ここも米所のひとつ。一面に広がる新米収穫後の風景は年の瀬のサインです。川床からは雑草が好き放題生い茂っており、風情があるとは言えないけれど、この小さな流れもゆくゆくは児島湖、瀬戸内海へとたどり着きます。川沿いの吉備路を歩けば、この町を桃太郎発祥の地たらしめている吉備津彦神社へ。吉備津彦命(きびつひこのみこと)が温羅(うら)、つまり鬼を退治した逸話(諸説あり)が桃太郎伝説のルーツであると推奨されて、1960年代以降、岡山県が積極的に観光資源として用いて今に至っています。20代最後となった年、県を代表するヒーロー、桃太郎が吉備津彦命に由来することを知らないほどこの地に縁もゆかりもなかった私が、遠縁の親戚が空けた家を作業場にし、東京との二拠点生活を始めて1年が過ぎたところです。
移住の初日、私は岡山桃太郎空港のバスステーションで途方に暮れていました。岡山駅に向かうリムジンバスに乗り遅れてしまったのです。空港から駅まで車で30分。次のバスが来るのは3時間後。リフォーム会社との打ち合わせのため一刻も急がなければなりませんでした。人影を感じて頭を上げると、目の前に30代と思われる女性が凛と立っています。
「あなたも?」
恐る恐る尋ねると、彼女は少し眉毛を下げ、おかしみを込めた笑顔で頷きました。高額が予想されるタクシー代を相乗りで割り勘してこの窮地を乗り越えることに決めた私たちの車内での会話は、初対面とは思えないものでした。学生時代、移住や今の仕事の奮闘ぶり、最終的に人生論まで展開される、ちょっと手応えのある時間が流れました。タクシーがようやく駅構内に横付けした時、彼女は呟きました。
「こんな思いがけないことがあるなんて。ああ、乗り逃してよかった。なんだかきょうはいい日になりそう」
連絡先を交換するのをためらったのは、相手も同じだったようです。この偶然をそっとそのままにしておきたい気持ちがそうさせたのか、苗字だけをお互いに伝えた後、彼女は勘定もせず、後部座席に割り勘額より少し多めのお札を添えて人混みへと消えていきました。
この日のことを思い出したのは、仏映画『男と女』を観ていた時でした。フランシス・レイが手がけたテーマソング「ダバダバダ」というロマンティックなスキャットを真っ先に思い浮かべる人が多いかもしれません。これも電車を乗り逃すという日常的なトラブルをきっかけに車に相乗りすることになった2人によって展開される物語。出会いの偶然性を静かなまなざしで見つめたクロード・ルルーシュ監督による名作です。出会い、近づいて、離れて、また近づくという、至極シンプルな内容。まるで天体同士の軌道上の大接近と遠ざかりを彷彿とさせます。周到に練られたプランはひとつもなく(一時、男性のほうがアプローチのために念入りなプランを立てますが、一瞬にしてそれが崩れてしまう場面は思わず吹き出してしまいました)「ふいの言い直し」「思いつき」によってストーリーが展開します。こうした思いがけなさが舞い込んでくる余地が、今の自分にあるだろうか。そんな問いを投げかけてくる作品です。
昨年の秋、このスキャットを生演奏で聴きたくて、大阪で開かれたフランシス・レイ・オーケストラによるレイ追悼コンサートに足を運びました。小さく流れていたボサノヴァを聴きながら、4階席で『男と女』の名シーンが刷られたプログラムを読み、開演を待っていた時のことです。
ある中年男性が2つ前の列の少し右側に腰を下ろしました。まんじりともせず舞台を見つめる背中は、開演前の慌ただしい熱気の中で逆に目を引くものがありました。一息ついてから男性は黒カバンを膝の上に乗せてチャックを引くと、あたりを軽く見回してからおもむろに四六判ほどの白い化粧箱を引き抜きました。膝の上に置いて箱の四辺を押さえてそっと蓋を開け、中から黒光りした長方形の板のようなものを取り出しました。
レフ板を被写体に当てるカメラマンの助手の手つきで、まず一方の板面を舞台へ向けて5秒ほど静止し、その状態のまま、まるでホールケーキを崩さずに入れるケーキ職人のように、その板を黒カバンに上からそっと戻し入れたのです。次第に集まり始めた観客たちは、相変わらずまくし立てるような関西弁でよもやま話に白熱中。彼の所作に気を留める人は誰もいないようでした。
しばらくしてから、たまりかねたように動くものを横目に感じ、私の視線はもう一度その背中に留まりました。男性は思い直したようにカバンから再びあの黒い板をそっと抜き出し、今度は宝箱を開ける時のように板面を自分の方へひっくり返しました。その瞬間、それが金縁の装飾が施された黒檀の上等な額縁であること、その中に収まっている女性のシルエットがこちらにも見えました。その目は、静かに持ち主を見ていました。一瞬の出来事でした。彼は今度は舞台側ではなく、自分に向けた状態で、つまり自分と彼女が向き合うかたちで、再びケーキ職人の所作でそれをカバンに収めました。やがて開演を告げるブザーが鳴り響き、観客たちのたくさんの背中とともにその背広姿はコンサートホールの闇に溶けていきました。
Profile
長尾契子 / グラフィックデザイナー、リトルプレス『1/f』編集人
1993年、東京都生まれ。紙媒体のデザインアトリエ・
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▼著者の寄稿文一覧
https://atsea.day/blogs/artist-profile/keiko-nagao