『If I must die(もし、私が死ななければならないなら)』 / レファアト・アラリール

2023年12月、パレスチナ人の権利を訴え続けたレファアト・アラリール(Refaat Alareer)氏がイスラエル軍の空爆により亡くなった。彼はガザ・イスラム大学の教授で詩人だった。

同年10月の映像配信で「私たちは無力で失うものはもう何もない」と涙ぐみながら話していた彼の言葉が、私の胸の奥をずっと掴んで離さない。

自分で懸命に情報を取りにいかなければ、同じ世界で残虐な戦争が行われていることなど忘れてしまいそうになるニュース番組。私たちが目にしている情報は一体どこまでが正しいのだろうか。

それはパレスチナやウクライナの戦争に限った話ではなく、調べれば調べるほど闇の中から心が抜け出せなくなってしまうくらいに、世界ではありとあらゆる問題が起きている(それでも私が知っていることはほんの僅かだろう)。

考え始めればキリがないが、だからと言って考えなくていい理由にはならない。まわりの人たちの行動を見て、そう感じる瞬間が増えた。

「自分には大したことはできない」と無力さや不甲斐なさに押し潰されそうになったり、日常生活に追われるばかりの自分に落胆する日々が続いても、ほんの数ミリでも全く動かないよりは遥かに良い、と思えるようにもなった。


冒頭に記した映像配信で彼はこうも言っていた。

「おそらく家にある一番頑丈なものはエキスポマーカー(ホワイトボード用のペン)だろう。でも、もしイスラエルが攻め込んできたら、命令してきたら、攻撃してきたら、我々を皆殺しにするようなら、私はイスラエルの兵士にそのマーカーを投げるだろう」

彼の言う「無力」と私の言う「無力」はあまりにも違いすぎる。無力と勝手に決めつけているのは自分であって、爆撃音などを聞くこともない日々のなかで安心して夜眠りにつける私たちは、きっと無力なんかではない。そして、ほんの数ミリでも皆で動けば大きな力になるはずだ。自分のなかにある小さな火を消してしまうのも、大きく育てていくのも自分自身なのだから。


昨年11月にレファアト・アラリール氏のアカウントから投稿された詩を少しでも多くの場所に残しておかなければと思い、自由に書くことができるこの場所に残すことにした。

彼の詩が、彼の言葉が、一人でも多くの方に届きますように。



『If I must die』

If I must die,
you must live
to tell my story
to sell my things
to buy a piece of cloth
and some strings,
(make it white with a long tail)
so that a child, somewhere in Gaza
while looking heaven in the eye
awaiting his dad who left in a blaze--
and bid no one farewell
not even to his flesh
not even to himself--
sees the kite, my kite you made,
flying up above
and thinks for a moment an angel is there
bringing back love
If I must die
let it bring hope
let it be a tale



もし、私が死ななければならないなら

もし、私が死ななければならないなら
あなたは生き続けなければならない
私の物語を語り継ぐために
私のものを売るために
一切れの布と数本の糸を買うために
(白く長い尾のあるものを)
そうすれば、ガザのどこかにいる子どもが
天を見つめるなかで
炎に焼かれて去った父を待ちながら—
誰にも別れの言葉を告げないまま
肉体にも
自分自身にさえも
あなたが作ってくれたその凧が
あなたが作ってくれたその私の凧が
空高く舞い上がり
ほんの一瞬、天使がそこに現れて
愛を取り戻してくれるから
もし私が死ななければならないなら
それが希望をもたらすものでありますように
それが語り継がれる物語になりますように


写真=中村風詩人
文=帆志麻彩