日々と旅のあわい −「ジェットコースターみたいな2時間」
二拠点生活中のリトルプレス編集人による
旅の醍醐味のキーワードにまつわるエッセイ。
本や映画なども参考にしながら、日々と旅の間(あわい)に触れていたい。
寄稿者:長尾契子
旅先で急にホームシックにかかり、その土地ならではの名店ではなく、どこにでもあるような大手の珈琲チェーン店の敷居を反射的にまたいだ人がいたら、私はその人に親しみを覚えます。あまり馴染みのない岡山の田舎で住み始めた当初、私にもこれと同じ現象が起きました。
移住後の変化のひとつは、手に触れるモノへの見方ががらりと変わったことです。自分でもよく分からない衝動に気づいたのは、食器棚からある皿を探し出した日のことでした。東京にいた頃は水屋の奥で置きっぱなしになっていた備前焼の皿を見つけ出すや否や、塵を払って洗い、部屋に飾りました。小学生の頃、姉と備前市香登の陶芸体験で仕上げた作品でした。
数年前から断捨離でモノを少しずつ減らしてきた努力も忘れ、20世紀初頭の民藝運動の伝統を受け継ぐ品が並んでいる倉敷や岡山市内にある民藝店に時間があれば通いつめ、飯椀や魚皿をスリップウェア(英国からの流れを汲む器の種類)へ少しずつ新調する日々。県立美術館で、イギリスのウィリアム・モリスがデザインを手がけた一脚の椅子に出合ってからは、市内に出る度に民藝家具店まで足を延ばし、ウィンザーチェアの佇まいを眺めるのが日課になっていました。
冒頭に書いた“旅先チェーン店現象”と同じで、見知らぬ土地で心細くなった時、身の回りに、親しみのあるものをより強く求める、あの原始的な欲求です。趣味の気楽さでもなく、くらしを楽しむ大人のゆとりというわけでもなく、いつも寝食共にするぬいぐるみがどこかにいってしまって、それを探してさまよっている子どものような感情でした。物言わぬモノから滲み出る、かつてそれに触れた手の感覚や、土のざらつきに宿る土地の記憶のようなものに、人を超えた人らしさを感じていたのだと思います。
ウィンザーチェアを陶然と眺める私に、椅子の神さまが慈悲を垂れたのか、ひとつの巡り合わせが訪れました。倉敷の老舗民藝店でもらった1枚のショップカードがきっかけでした。兵庫県の丹波篠山に、ウィンザーチェアをはじめとする民藝家具で店内全体がレイアウトされた、築200年の町家を改装した宿があるというのです。宿の近くには丹波焼の里として名高い今田町があり、そこには丹波焼の美術館があることも知っていました。その椅子に座ることと、美術館に行くことを二大目的に据え、自分への誕生日プレゼントとして、その日のうちに予約ボタンを押しました。
3月上旬、宿の手前の駅にある今田町の美術館前に到着した私は、蒼ざめた顔で立ち尽していました。旅が始まった瞬間、二大目的の一つがあっけなく消失した瞬間でした。展示替えのための臨時閉館――。ネットの開館情報だけを頼りにしたことを後悔したのは言うまでもありません。
岡山から新幹線に乗り、神戸で地下鉄を乗り継ぎ、本数の少ないバスで田舎の山道を蛇行すること合わせて3時間。やっと辿り着いた先は真っ暗闇の巨大な美術館。春先とはいえ、曇天の山の集落は氷点下近くに冷え込み、辺りは不気味なほど人の気配がなく、美術館以外にオープンしていそうな建物も飲食店も見当たりません。
迷子のように、暗い敷地内を歩き回りました。次のバスは2時間半後。このままだと凍えてしまう。ひとまず窯が点在する道路脇へ戻ってみよう。丹波焼の里だし、窯のひとつくらい開いているだろう。バスが来るまで中で休憩できないかお願いしてみよう――。そう思い直して顔を上げた時でした。
誰もいないと思った美術館の敷地内から人影が見えました。恐る恐る互いに近づいていきました。ベージュのカーゴパンツにコーデュロイのジャケットを羽織った気軽な手ぶら姿。ブロンドの巻髪をした外人女性であることが徐々に分かりました。二人が同じ窮地に立っていることを示すように、数メートル手前から彼女は眉毛をへの字にし、満面の笑みを浮かべて、歩み寄っていました。対面した途端、まだ話し出してもいないのに、二人で身体を曲げて吹き出しました。
いやあ、驚きましたよね。私がそう水を向けると、彼女も息を切らして笑いながら、私も京都から3時間かけてここまで来たんですよ。これからどうしたらいいんでしょ? と流暢で丁寧な日本語で訊き返します。
ソフィアさんは、日本の古き良き陶芸文化が大好きな若きイギリス人女性。日本語習得のために昨年やってきた留学生でした。私がウィンザーチェアを眺めていた同じ頃、彼女は京都の学校にある陶芸研の部員として素焼きの器に織部焼の鉄絵を施したり、丹波焼のことを考えたりしながら、この美術館に来ることを心から楽しみにしていたのだといいます。
私はイギリスの古い椅子が好き、彼女は日本の陶芸が大好き。それぞれが潜在的に蓄積されていた異国文化への興味が次々と勢いある言葉となって質問の応酬が始まるのも自然な流れでした。
どこか暖かい場所をと二人で探し歩く道すがら、彼女はポケットに手を突っ込んで肩をすぼめ、白い息を吐きながら、抹茶茶碗の美しさについて熱っぽく語り始めました。黒楽茶碗は好きかと尋ねてみると、黒楽は有名だけど、赤楽も大好き。楽茶碗を知っているならぜひ行ってほしい京都の美術館がある。ほとんど人がいない穴場です、教えましょうか? との手並み。凍えそうな寒さも、互いの携帯で手当たり次第に調べた周辺の飲食店が軒並みクローズドであることも、思いがけない出会いがもたらした気分の高揚で笑いのネタに変えられていきます。
彼女の碧眼がすば抜けた視力で遠方にぽつんと光る一軒の窯の明かりを捉えたことがきっかけとなって、そこからさらにふしぎな巡り合わせが続きます。
その場所が、三代続く丹波焼の窯元であったこと。窯主の奥さんが少し離れたところにある知り合いのカフェに連絡を入れてオープンしていることを確かめてくれたばかりか、奥から出てきたご主人が車を出して私たちをそのカフェへ連れて行ってくれたこと。ソフィアの陶芸への深い造詣に感心した店主が、日本での長期滞在が決まったら僕の窯に入ってほしいと弟子入りの要請をかける展開にまでなったこと。それらを私はただ呆然と眺めていました。しかし一番目を丸くしたのは、車をカフェの入り口に横付けしたタイミングで、私たちがつい30分前に出会ったばかりの初対面であると知った瞬間の店主でした。
到着した先のカフェは、凍えた私たちを励ますかのように、二切れだけ残っていたその日最後だというケーキを二人それぞれにサーブしてくれました。
ジェットコースターのような2時間を過ごした後、私はソフィアを駅まで見送り、彼女は京都のどこか私の知らないところへと帰って行きました。私をあれほど強く突き動かしていた“旅先チェーン店現象”は、この日からふしぎと収まっていったのでした。
全写真:河原町にたたずむ築200年の町家を生かした宿「
Profile
長尾契子 / グラフィックデザイナー、リトルプレス『1/f』編集人
1993年、東京都生まれ。紙媒体のデザインアトリエ・
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