世界で初めてのぬいぐるみ。140年以上愛され続ける「シュタイフ」の魅力
At Sea Day の商品のなかでも、その愛らしい姿から一際目をひく テディベア 。世界中にたくさんのコレクターがいることでも知られていますが、"テディベア" と聞くとまず思い浮かべるのが『Steiff(シュタイフ)』という方も多いのではないでしょうか。かくいう私もその一人です。今回は、そんなシュタイフについてご紹介します。
「こどもには最高のものこそふさわしい」
シュタイフは、1880年に南ドイツの町 ギーンゲン で始まりました。社名である『Steiff(シュタイフ)』は、創業者マルガレーテ・シュタイフの名前からとったもの。シュタイフ社は今でも、「こどもには最高のものこそふさわしい」という彼女が貫いたポリシーを守り続けています。
ある冬の日、マルガレーテはファッション雑誌からヒントを得て、高品質なフェルトを使って小さなゾウを作りました。
おとなには針刺しとして、こどもにはおもちゃとして作ったものでしたが、たちまちこどもたちの間で人気のおもちゃとして広まります。
これが世界で初めてのぬいぐるみ玩具の誕生です。
この後程なくして、最初のシュタイフのカタログが発行され、そこにはゾウの他にも、サル、ロバ、ウマ、ラクダ、ブタ、ネズミ、イヌ、ネコ、ウサギやキリンも掲載されていました。ぬいぐるみを手にして喜ぶこどもたちの様子を見て、マルガレーテは「こどもたちには最高のものこそふさわしい」との思いを強くしていきます。(Steiff日本公式HPより)
"世界で初めてぬいぐるみを作ったブランド" はシュタイフだったのですね。では、今なお世界中で愛され続ける "テディべア" はいつ頃誕生したのでしょうか?
テディベアの誕生
1902年、マルガレーテの甥であるリチャード・シュタイフは「55PB」という商品名でクマのぬいぐるみを発表します。"55" はベアのサイズ、"P" は「Plusch(ドイツ語でぬいぐるみの意)」、"B" は「Beweglich(ドイツ語で可動式の意)」から名付けられ、世界で初めての「テディベア」として、世界中の人々を魅了しました。
1902年リチャード・シュタイフが、世界初のテディベア「55PB」を作ります。
「本物のクマのようなぬいぐるみ」を思いついたリチャードは、頭と腕と脚が動く、毛足の長いモヘアで作られたクマのぬいぐるみを設計します。
テキスタイルで当時から有名だったシュルテ社(現シュタイフ シュルテ)のモヘア生地を使って作られたテディベアは、ライプツィヒのおもちゃ見本市で、アメリカ人ディーラーから3,000体の注文を受け、アメリカでの販路拡大へと繋がりました。(Steiff日本公式HPより)
たしかに At Sea Day にいるシュタイフベアをよく見てみると、毛足が長くて鼻が少し高く、耳も小さめ。その姿はいわゆる "可愛いクマのぬいぐるみ" ではなく、どこか本物のクマを思わせます。
こうして「55PB」をきっかけにテディベアブームが巻き起こりましたが、同時に粗悪な類似品も市場に多く出回るようになってしまいました。
そこでシュタイフは、お客様が間違えて粗悪品を購入することのないよう、自社の作品の証としてぬいぐるみにボタンとタグを付けるようになりました。職人によってひとつひとつ丁寧に作られたシュタイフのぬいぐるみは、完全に同じものは存在しません。ぬいぐるみに付けられたタグは、シュタイフの確かな品質の証と自信でもあるのです。
その後もシュタイフは様々な動物をモチーフにしたぬいぐるみを作り出し、世界中の子どもたち、そして大人たちを今もなお魅了し続けています。
「自由とは、自分を信じるということ」-マルガレーテ・シュタイフ
創業者のマルガレーテ・シュタイフは、1歳半のとき小児まひにかかり、一生を車いすで過ごすことになったそうです。女性起業家というだけで物珍しかった時代に、障がいを持つ彼女が自立するのはさらに大変な苦労があったことは想像に難くありません。それでも、自分を信じることを決して忘れず、努力を重ね、世界で最初のぬいぐるみの会社を作りました。もし彼女がいなければ、今も世界中で愛され続ける "テディベア" は存在していなかったかもしれません。
今回シュタイフの歴史について辿るなかで、子どもたちへの想い、ぬいぐるみへのこだわりや品質の良さだけではなく、「自分を信じることの大切さ」を学ぶことができました。これを読んでくださっているみなさまに、少しでもシュタイフの魅力が伝われば嬉しいです。
写真=中島ゆう子
文=帆志麻彩
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