海がどこまでも繋がっているように、痛みや祈りも途切れずに

船で世界を巡り、大陸の縁をなぞるように旅していると、世界は地図の上に打たれた点の集まりではないのだと感じる瞬間が多くあります。運河を吹き抜ける風の匂い、異なる海の色が混じり合う場所、数々の港で交わしてきた言葉。それらはすべて、今自分の立っている足元まで途切れずに続いているのです。だからこそ、海の向こうで起きている出来事を「遠い国の話」とすることはできません。それが仮に、今心配されている日本への影響が殆ど無いものだったとしても。

ニュースが告げる激しい情勢。かつて訪れたあの国で見上げた同じ空の下で、今は戦火が降り注いでいる。その事実を前に、私たちの社会はしばしば沈黙を選びます。誰かを傷つけないための配慮かもしれませんが、その静けさが時に冷たく感じられることもあります。同じ地球の上で、空を見上げることさえ許されない瞬間があること。ごく普通の小学校が爆撃を受けて、子どもたちが奪われること。その理不尽さに胸を痛めることは、決して無駄ではありません。夜にあたたかい布団の中で眠ることのできる私たちは、その温もりを知る一人として、日常に埋もれさせてはいけない痛みがあるのではないでしょうか。

何が正しくて、何が間違っているのか。自分から見えている側面だけで判断するには、あまりにも難しいことが多すぎると思います。世界を動かす思惑のすべてが正しく報じられているとは限らないし、そんな情報は私たちの見える範囲にはないのかもしれません。白に見えているものが、本当は黒だったりもするのかもしれません。けれど、大きな正義を叫ぶことはできなくても、せめて「知ろうとする」ことは手放さずにいたいと思うのです。見えない場所にいる誰かの呼吸に耳を澄ませようとすること。誰かが流した涙を想像しようとすること。わからないと目を背けるのではなく、知ろうとする意志を持ち続けること。それは、遠く離れた誰かと自分を繋ぎ止める、細くても確かな一本の線になるはずです。

身近な人や旅先で出会った人、私たちそれぞれが今までこの世界で受け取ってきた親切を忘れず、目の前の日常を自分なりに精一杯生き、隣の人へ小さな優しさを手渡していく。例えそれしか出来ないとしても、海がどこまでも繋がっているように、一人一人が手渡した優しさが形を変えて、遠くの誰かの平穏に繋がっていくと信じて。

美しい風景をただ美しいと眺められる日が、すべての人に等しく訪れることを、一人の人間として願い続けていたいと思います。





写真=中村風詩人
文=帆志麻彩



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