学生の頃に描いた人生の地図
高校生の頃、夕食後はよく父の部屋で過ごしていた。
なにをするでもなくゴロゴロするときもあれば、一緒にテレビを見たり、父がPCで何かしているのを覗いたり、父の本棚から本を取り出してはぱらぱらと捲ってみたり。そんな中でも、必ずと言っていいほどしていたのが「夢」の話だった。
「将来はこんなお店をひらいてね、おばあちゃんになっても旅をしながらお店に立つの。買い付けに行く時は入り口に(店主は旅に出ています)って貼り紙をしたりして…。そういうお店、たまにあるでしょう? あの貼り紙みるとすごくわくわくするよね!」
その日の父の忙しさによって、沢山聞いてもらえる日もあれば、ほんの少ししか話せないときもあったが、毎日のようにこんな話ばかりしていた。当時は特に意識していなかったが、 "何でも話せる友達" のように思っていたのだと思う(大人になった今、仕事で疲れて帰ってきてよく毎日同じ話を聞いてくれていたなぁ…とほとほと関心してしまう)。
休日にはノートとペンを持って近所のファミレスへ行き、ポテトを食べたりクレープを食べたりしながら、飽きずにまた同じ話を繰り返していた。父はわくわくすることを考えるのが大好きな人。私も昔から妄想癖なので、一緒にアイディアを沢山だしながら、思い付いたそれをノートに書き溜めては「こんな良いアイディア、誰かに聞こえたら真似されちゃうかもしれないからあんまり大きな声で話したらだめだよ。どこにスパイがいるかもわからないんだから…」とコソコソ話をしたりしていた(今思い出してもくだらなすぎて笑ってしまう)。
家に帰ると、真面目な母はそんな私たちの様子を見て「まったくもう夢ばかりみて。宿題やりなさい」と呆れながら笑っていた。
あれからどれくらいの月日が流れただろう。
マイペースな私は、突然大学を中退したり、旅の仕事をしながら走り回ったり、途中他のことに夢中になってgalleryに携わったり… 色々と回り道はしてきたけれど、どれも私には必要で大切な時間だった。たくさんの人に支えられながら、運にも助けられながら、そうして一歩ずつ、今ほんの少し夢の扉がひらいている。
At Sea Day をオープンしたとき、「お祝い」と書かれたご祝儀袋を手渡された。両親はあのときの私の夢をちゃんと覚えていてくれたのだ。「まだオンラインショップだけなのに大げさだよ」と私が笑いながら言うと、「オンラインショップでも凄いことだよ」と食事にも連れて行ってくれた。
「小学生のときのオランダの旅が、あなたをここまで連れて来てくれたんだね。旅と写真を仕事にするのは大変だったでしょう」と言ったのは、あの真面目で優等生気質な母だ。
どうせなら実店舗を持つときまで涙はとっておこう。その日まで両親が元気でいてくれることを願って。
文=帆志麻彩
私が旅をする理由
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ある一人の写真家と私の矛盾について