奇跡なんて言葉では足りないけれど

高校三年の秋、私は学校の図書室で本棚を眺めていた。

小学生の渡航経験
 で「旅」というものが特別な存在になってはいたものの、進路を決めないといけない時期になっても、当時の私の知識では「旅と将来(仕事)」が中々結びつかずに頭を抱える日々を過ごしていた。まわりの同級生たちがせっせと予備校に通う中、「何か糸口を見つけなければ」と一人進路指導室と図書室を行ったり来たりしていたのだ。

そんなある日、図書室で『人生の地図』と書かれた一冊の本に出会う。タイトルに惹かれ手にとると、そこにはセピア調やモノクロの写真と共に、読者の心の奥深くに問いかけるようなインパクトのある言葉が並んでいた。" 自分だけの地図を描こう"。ページを捲りながら、その言葉や写真の数々に胸の高鳴りを抑えられなかった。

「旅をしながら写真を撮る人になりたい」。
本を閉じるのと同時にそう強く思った私は、日藝写真学科への進学を決意する。


カメラなんて写ルンですくらいしか手にしたことがない、知識ゼロの高校生。試験は一般科目がメインだったため何とか入学の切符を手に入れることができたが、入学式では「ここは入学するより卒業する方が大変です」という先生の言葉にどきりとしていた。

その言葉通り、と言うのも変な話だが、私は日藝を2年で中退することになる。


たった2年という短い日藝生時代のなかでも、特別印象に残っている同級生がいた。写真家の中島ゆう子ちゃんだ(同級生なのでここは敢えて「ちゃん」と呼ばせてもらいたい)。

当時の私にとって、彼女は憧れの存在だった(それは今でも変わらない)。写真の良し悪しなんてわかっていなかったが、それでも彼女の撮る作品は魅力的だった。もっと言えば、彼女の存在そのものが魅力的だった。都会的でお洒落な服をさらっと着こなし、笑顔がとても可愛くて、肩にかけられているカメラは既に彼女の一部のようで。「格好いいな、素敵だな」、学内で見かける度にそう思っていた。

こんなに色々と書いているが、クラスが別々だったこともあって当時は殆ど話していなかったと思う。一度だけ一緒にカフェでグループ展を開く機会に恵まれたが、そのときも恥ずかしくてあまり話せなかった。それだけ彼女は遠くで光輝く存在だったのだ。


久々に交わしたSNSでのやりとりをきっかけに、彼女が At Sea Day の場所作りを手伝ってくれることになったとき、私は自分に起きた奇跡が信じられなかった。「あのゆう子ちゃんと一緒に何かできるなんて…」。夢を見ているような心地だった。それもそのはずだ。大学を辞めたあの日から13年もの歳月が過ぎているのだから。

中退という道を選んだときは「反面教師」と言われたり、後ろ指をさされることもあった。人生で初めての大きな挫折。未来への光を見失い、世界が真っ暗に見えたことだって一度や二度の話ではない(今思えば何をそれくらいのことで、という感じだが)。それでも自分の心に嘘をつかず、夢を捨てず、自分の手を離さず、好きなものに真っ直ぐ向き合ってきてよかった。心からそう思えた瞬間だった。「そういう生き方しかできなかった」 というのが正しい表現だが、私は私なりに、不器用なりに、人生の地図を自分の手で描いていたのだ。


彼女は今、At Sea Day でフォトエッセイを書いてくれたり、彼女が暮らすドイツでアートブックや雑貨の買い付けをしてくれている。何度も言うが、本当に夢のようだ。奇跡なんて言葉では足りないけれど、人生にはこんなにも嬉しい奇跡のプレゼントが降ってくることもあるのだと、自分の部屋でしくしく泣いていた大学生の私に教えてあげたい。

そして、やはり彼女は変わらず魅力的だ。彼女の写し撮る世界に惹かれるのはもちろんのこと、日々色々な連絡をとり合うなかで、彼女の優しさや聡明さに触れ、私は当時よりもっと彼女のファンになっている。この先もずっとこうして穏やかに良い関係を続けていけたら、そう願わずにはいれらない。



文=帆志麻彩

 



▼中島ゆう子 フォトエッセイ
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