客船にっぽん丸と過ごした17年。引退記念写真集に込めた想い ― 写真家・中村風詩人さん / インタビュー

【旅写真家・中村風詩人さん】インタビュー:「にっぽん丸」を最も多く撮り続けた写真家が贈る珠玉の一冊
17年間を共に過ごしてきた第二の我が家、「にっぽん丸」との思い出 ― 引退への気持ちを語る
― 昨年制作された写真集『waterline - にっぽん丸の軌跡』は、まさに「完全保存版」と言いたくなる見応え(読み応え)でした。写真集を作ろうと思ったきっかけについて教えてください。
中村さん:
にっぽん丸の引退が正式に決まったときですね。自分の人生の中で一番撮影してきた被写体は何かなと考えたとき、そのひとつが17年間撮り続けてきたにっぽん丸でした。そう考えると、出さない選択肢はないかなと思って、写真集を作る決断をしました。
― にっぽん丸の引退について、率直にどのようなお気持ちですか?
中村さん:
正直もっと運航できるのになぁと思います。船齢としてはそれなりかもしれませんが、それでもリニューアルを重ねてきて、内装は一瞬新築?と思えるほどのところもあります。なにより、乗りたいというお客様も多くいらっしゃって需給のバランスも良い。今がベストなタイミングなのかなぁと考えることもありました。それでも決まったことは決まったこと、今は感謝を込めて引退を見送りたいと思います。
― 中村さんが初めてにっぽん丸に乗船されたのはいつですか? また、そのときの印象はいかがでしたか?
中村さん:
初めての乗船は、17年前、20代の頃です。そのすぐあと、2008年に行われた世界一周クルーズに区間乗船しました。
― その頃はまだ他の船もあまり乗船されていなかったのですか?
中村さん:
元々船旅が好きだったので、大学生のときからエーゲ海クルーズやリバークルーズや北欧クルーズ、あとはアフリカ、フランス、イギリスとか、結構色々船に乗って旅をしていましたね。ですが、どれもにっぽん丸のような豪華な客船ではなく、フェリー中心の船旅でした。
― お仕事で乗船される前から船旅で色々巡られていたんですね。にっぽん丸に17年間乗船し続けたなかで、一番印象的だった思い出をお聞かせください。
中村さん:
やはり、一番印象的だったのは2011年の世界一周クルーズです。全区間、91日間乗っていました。自分の中で "本物の歴史の始まり" という感じがして、今でも当時のことは鮮明に覚えています。
2008年に乗船したときはヨーロッパ区間のみだったので、2011年の世界一周では、出発した港と同じ港に帰ってきたとき、世界は海で繋がっているんだなぁと思いました。常識ですが、それを身をもって体験して、海の広さを改めて知るという感動がありました。
― 1ヶ月でも十分凄いと思いますが、91日間の船旅は見える景色が変わりそうですね。その頃のにっぽん丸は、もう今の姿をしていたのでしょうか?
中村さん:
第3代にっぽん丸が大改装を行ったのが2010年なので、2011年の世界一周クルーズのときには、今と同じ船体の下部分がネイビーの姿になっていました。その前は真っ白の船だったんです。
― 17年間のなかで苦労した撮影のエピソードはありますか?
中村さん:
うーん、苦労したことは…… 特にないかもしれないですね。
― それは凄いです…! この寄港地での撮影が大変だったな… とかも特にありませんでしたか?
中村さん:
どうでしょう。船首で冷たい風に耐えながら撮影したりもよくありますけど、特に苦労とは思わなかったですね。三脚を押さえている手が寒いな、くらいで。波をビシャってかぶっても、「うわ〜!10メートルの波きた!凄い!!」みたいな(笑)そういうのも、ずっと楽しみながら撮っていました。
― 機材に波がかぶったり、寒さに震えたり…。聞いていると結構大変そうな環境に思えますが…(笑)
中村さん:
波をかぶって嬉しいわけではないですよ(笑)でも、まぁなんとかなるだろう、みたいな気持ちでした。
大変だったことを強いて言うなら、荷物の量ですね。いつも凄い量を持って行くので。特に海外だと、カルネと言って1回自分の機材を輸出して再輸入する税関上の手続きがあるんです。それが少し大変ですね。
― 特にロングクルーズとなると機材の量も増えそうですよね。それは、カメラマンならではの大変さですね。これだけ長い期間にっぽん丸に乗船されてきた中村さんが思う「にっぽん丸の魅力」を聞いてみたいです。
中村さん:
やはり居心地の良さですね。一度でも乗船すれば「洋上の我が家」になるところだと思います。キャビンはそんなに広くないんですけど、普段もっと広い御宅にお住まいだろうお客様も、結構その狭いキャビンが気に入るんです。それは、船全体の居心地の良さが理由なんだと思います。
― そんな「洋上の我が家」、にっぽん丸が一番似合うなと思う場所はどこですか?
中村さん:
横浜・大さん橋です。世界一周の話にも繋がりますが、91日間のクルーズを終えて大さん橋に戻ってきたときの感動は、今でもよく覚えています。あとは、やはり航海中の姿ですね。海が綺麗なところを進んでいると、航跡はもちろん、船首でも海をかきわける水飛沫があがるので臨場感が違いますよ。ヘリコプターで並走しながら撮影するときによく見えるんです。それが美しいなと思います。
― 今は他のクルーズ船も様々種類がありますが、にっぽん丸は写真家として見ても美しいなと感じますか?
中村さん:
そうですね。他の船に乗船する機会、撮影する機会もありますが、日本船らしいにっぽん丸の船形は、やはり凄く綺麗だなと思います。例えば、学校の美術の時間とか、あるいはその辺りを歩いている人でも「船の絵を書いてください」ってお願いしたら、おそらくにっぽん丸のような形をした船を描くと思うんです。誰もが初めに思い浮かべる、船らしい船の形をしているところが好きですね。
― 17年間という長い時間を共に過ごしたにっぽん丸に、今伝えたいことはありますか?
中村さん:
530万キロを超える航行距離、実に地球133周分の海を渡ってきてくれたので、もう本当に今はただただ、「ありがとう、お疲れさまでした」と伝えたいです。
にっぽん丸が航海してきた線を、写真と文章で繋ぐ ― 昨年制作された写真集『waterline - にっぽん丸の軌跡』へ込めた想い
― 写真集のタイトル『waterline』にはどのような想いが込められているのでしょうか?
中村さん:
『waterline』は船の喫水線を表す言葉なんです。今まで航海してきた航路が水の線となって、縦横無尽に糸が張り巡らされているイメージでこのタイトルを付けました。乗客の皆さんと船が描いてきた水の線、その喫水線が船と海を繋げているような、そんな線がタイトルとして美しいなと。
― 初めて『waterline』という言葉を知ったのですが、想いを聞くとより素敵だなと感じます。こういう「言葉」は、突然ふっと思い付くものなのでしょうか?
中村さん:
海の上で写真集のタイトルを考えているときに、航跡をぼんやりと見ていたんです。港から港に向かっている… 港という点が海の上の線で繋がっている気がしました。そのときに、『waterline』というタイトルを思い付きました。
― 17年間で水の上に描いた線と、海と船を繋ぐ線、素敵ですね。冒頭でのお話にあった、写真集の制作を決断したそのとき、既にどのような内容の本にしようというイメージはあったのでしょうか?
中村さん:
最初の時点ではタイトルなどは決めていませんでした。ただ、自分だけの思い出話としての写真集にするのはやめようとは思っていました。こんなとこ行きました、というような本で終わるようなものにはしたくなかったんです。第3代改装後、17年間のにっぽん丸の本として出したいなと。
― 写真集としても美しく完成されていますが、中村さんが仰るように歴史が詰まった内容になっていますよね。写真集の中で特に見てほしいポイントなどはありますか?
中村さん:
自分の出身地の港を見ていただくのもいいかなと思っています。案外海のある県に住んでいる人でも港って行かないんですよね。「こんなところだったんだ」とか、見え方の違いや懐かしさとか。海から見る出身地の姿に何かしらの発見があると思います。
あとは、富嶽三十六景ではないですが、この船が様々な港に停まっている景色を蒔絵のように見てほしいですね。連続する絵の物語のように。と言うのも、どの港も共通して船だけを撮らないようにしているんです。いつも、にっぽん丸が写っている風景写真として撮影していて。写真集には様々な港が沢山載っていますが、その港の美しさが出るところはどこだろうと考えて撮影してきました。

― たしかに、一瞬「にっぽん丸どこだろう」と思う港の写真もありました。でも、それがまたドラマティックで…。これだけ沢山の写真があると中々決めにくいとは思いますが、写真集のなかで中村さん自身が一番お気に入りの写真と、その理由を教えてください。
中村さん:
甲乙つけがたいですね。全部お気に入りと言えばお気に入りなんですが…経験としては、やはり「キャプテンクックが求めた金星」を撮影した一枚がお気に入りです。
写真集の中のエッセイでも綴っていますが、2012年の南太平洋一周クルーズに乗船したとき、「金星の太陽面通過」という天体現象があったんです。金星が太陽の表面を通過する時に、それが黒い円形のシルエットに見える現象です。その現象を撮影した時、にっぽん丸はタヒチ沖合を航行していました。
誰もが一度は耳にしたことがあるジェームズ・クックという偉人がいます。1769年に行われた第1回探検航海で成功を収め、彼は「キャプテンクック」と呼ばれるようになりました。そして、そのときの航海の目的こそ、タヒチで金星の太陽面通過の現象を確認することだったんです。

― 浪漫を感じるお話ですね。キャプテンクックの存在を、今回中村さんの写真集を通して初めて知りました。
中村さん:
そう、浪漫がありますよね。彼と同じタヒチで、彼と同じ6月に。キャプテンクックはエンデバー号で、私達はにっぽん丸でタヒチを目指し、無事に金星が太陽の上を通過する瞬間を記録した。約300年の時を経て重なった航海の目的、なんと意義のある写真が撮影できたことだろう、と思いました。
次に金星が太陽面を通過するのは121年後の予定なので、これは人生で一度きりのチャンスでした。
― 121年後…! となると、もう誰も観られない貴重な瞬間を収めた写真ということですね。中村さんがその瞬間を撮影してこの世に残したことで、これからもその写真を通してクックの足跡を辿ることができますね。
― 写真集には、日本の美しい風景、世界の美しい風景が多く収録されていますが、特にお気に入りの寄港地はありますか?
中村さん:
アマルフィとサントリーニ島ですね。アマルフィは「こんなに美しい港があるのか」と思いました。早朝目覚めて、デッキにでたら目の前に広がっていたあの景色は、忘れられません。
― アマルフィについては、写真集にもエッセイが掲載されていましたね。あの景色が船上のデッキから見られるなんて… 想像もつかない世界です。サントリーニ島についてはどうでしょう。
中村さん:
サントリーニ島は何回訪れているかもうわからないくらいですが、行く度に港から市街地への交通手段が変わっていたのが面白いなと思いました。初めて行ったときは港から歩いて登ったんです。次に訪れたときはロバに乗って連れて行ってもらって。その次のときは、ゴンドラができていたのでロープウェイで上がっていきました。こんなに発展して姿が変わっていく寄港地ってあまりないなと思ったんです。一度のクルーズではなく、長い時間をかけて訪れないと見られないことなので、何度も来たお陰で感じた貴重な体験だと思いましたね。
― ロバで登っていた頃があるなんて驚きです。たしかに交通機関の変化は、一度訪れただけでは感じられないですよね。日本の港のなかでお気に入りを選ぶとしたら、どうでしょう?
中村さん:
日本の港なら、鞆の浦がお気に入りの港です。初めて訪れたときは、日本を再発見したような気持ちになりました。にっぽん丸が初めて鞆の浦に寄港したのが2017年なので、割と最近の話ですね。こんなに良いところを教えてくれてありがとう、という気持ちでした。

― 「日本を再発見した」と感じた理由について伺いたいです。
中村さん:
港の周りの景色がとにかく良いんです。タイムスリップしたような感じで。京都、奈良は人が多いのであまりそういう気持ちにならないですが、鞆の浦は観光客が少ないんですよ。実際は違うのかもしれませんが、当時のままの姿が残っているような、そんな感じがしました。気に入ってそのあと個人的にも何度か訪れています。
― 鞆の浦、訪れたことがないので気になります。お写真を拝見すると江戸時代?のような雰囲気がありますね。次に、写真集の制作にあたって、特にこだわった点、制作エピソードなどをお聞かせください。
中村さん:
船員に「今までの思い出エピソード」を聞きに行ったことですかね。もう船を降りて陸上にいらっしゃる方々やまだ現役の方など、皆さん乗船歴が長いので、昔話を聞くのは面白かったですね。第1代、第2代、それにふじ丸や新さくら丸のことまで。自分の知らないにっぽん丸のエピソードも沢山教えていただきました。
― インタビューもされていたんですね。「にっぽん丸の歩み」を作ろうという中村さんの想いが伝わってきます。写真が素晴らしいのはもちろんですが、エッセイも印象的でした。購入してくださる方からもエッセイの感想を多くいただいています。中村さんは私のなかで「撮り続けている方」と同時に「書き続けている方」という印象を持っています。
中村さん:
商船三井クルーズの公式ブログを10年間担当させていただいていたのと、雑誌 CRUISE TRAVELER でも長年にっぽん丸の連載を書かせていただいていたので、特ににっぽん丸に関しては書き続けてきましたね。今回の写真集のためにエッセイを書き下ろしていますが、ずっと書き続けてきたこと、考えてきたことだったので、仕上げるのは早かったと思います。
― 過去の写真展、写真集でも、叙情的な文章を書かれる方だなと思っていました。言葉を選ばずに言うと「写真家さんなのに文章がお上手だな」と最初は驚いてしまって。中村さんにとっての「書くこと」について教えていただけますか?
中村さん:
写真と文章は両立させるべきものだと思っているんです。写真家は写真だけで表現するべきだという方もいますが、私はあくまで写真と文章は別のベクトルにあって、両者が協力して二人三脚で芸術として表現されるものだと考えています。写真だけでは表現できないことを文章が、逆に文章だけでは伝わらないことを写真が補ってあげればいい。それって結構アートしていると思っています。

― 個人的にもとても意外な回答でした。 ぜひ、詳しく伺いたいです。写真を撮り始めた初期の頃からそのようにお考えだったのでしょうか?
中村さん:
そうですね。初期からそう考えていました。実際自分が他の人の作品を観ても、タイトルや文章がなかったらわからないなと思うことが多かったので。例えば、写真に2人の人物が写っていて、タイトルや説明がなかったら、兄弟なのか友人なのかわからないと思うんです。その写真だけではわからないところを文章が補完して、初めて一つのアートになりえると私は思っています。
― よく「受け取り手側に託して手放す」という考え、表現も聞きますが、その点についてはどうでしょう。
中村さん:
それはそれで良いと思います。手放したい人は手放してもいい。でも、自分が相手にこう感じてほしい、観てほしい、という作品の意図があるなら、ちゃんと補完して完成させる方が良いと私は思います。抽象的なものほどそう思いますね。
― 先程のキャプテンクックの金星のお写真も、写真だけではあのエピソードに辿り着けないですよね。昨年巡回されていた写真展であの作品をご覧になっていたお客様も、初めは「これ何の写真だろう」と気になって近付き、隣のエッセイを読んで、皆さんもの凄く満足そうな表情をされていたんです。そのときのことを思い出しました。
カメラを持っていないときでも、心に、目に、丁寧に焼き付ける ― 写真家として大切にしていること

― 中村さんが写真家として大切にしていることを教えてください。
中村さん:
常に全力で良い写真を撮ることです。撮り続けること。良いものを作り続けていれば、自然と人も仕事もついてくると考えています。写真は自分自身を写すもの。写真の良さは常に等身大。挑戦はする、でも無駄な背伸びをしない。そう心がけています。
― たしかに中村さんはいつでもどこでも全力なイメージです。人によって全力のレベルみたいなものって違うと思うのですが、特に今まで大切にしてきたことやそれに纏わるエピソードはありますか?
中村さん:
昔はよく「瞬き」をシャッターだと思っていました。心を込めて瞬きをする。カメラを持っていないときでも、シャッターを切るように瞬きをする気持ちで過ごしていた時期がありましたね。20代の頃、フィルムカメラで旅をしているときなんかは、フィルムが切れて無くなってしまうことってあるじゃないですか。そういうときでも、実際には撮れなくても「どう撮ろう」と考えながら、心を込めて瞬きをしていました。
― フィルムが無くなったことで撮りたい瞬間が撮れなくて悔しい気持ちになった、というのはよく聞きますが、「心を込めて瞬きをしよう」というエピソードは初めて聞きました。
中村さん:
丁寧に瞬きをすることで、 心に焼き付け、目の裏に焼き付け、瞼の裏に留めるような気持ちでしたね。それは、旅先に限ったことではなくて。例えば、ごみ捨てに出たときの朝日とか、何でもいいんです。カメラをずっと持っているわけではないですから。
― 他にもそういうエピソードはありますか?
中村さん:
20代前半くらいの頃は、カメラは持たずに露出計だけを持ち歩いていましたね。当時使っていたハッセルブラッドは、露出計が内蔵されていなかったんです。それで、上に付ける小さな露出計を買って使っていました。それをポケットに入れて、常に露出を測りながら歩いていました。この露出何かなって思ったときに、まず自分で考えて口に出すんです。で、そのあと、露出計で合わせてみて確認する。緑色のランプが付けば適正、オーバーやアンダーだと赤色の三角のランプが付く、とかそういう感じだったと思います。
― カメラを持たずに露出計だけ… どのくらいの期間それをしていたんですか?
中村さん:
1年くらいはずっと続けていましたね。なぜカメラを持ち歩かなかったのかというと、当時ハッセルブラッドとフジの67を使っていたんですけど、例えばハッセルだとアングルが限られてしまうじゃないですか。だから、露出計とお散歩しているときは、上を向いてとか、ハッセルではできないアングルで測っていました。
最初は全然合わないんです。でも、段々目がしっかりしてくる。あの奥の光を拾ってるんだな、とか。1年続けるとあらゆる場所で適正露出が取れるようになるんです。そのお散歩のおかげで、露出計なしでも正確な露出を取れるようになりました。意外とその時の経験は今でも役に立っています。

― そういう意識で世界を見つめる。そのひとつひとつが、今の中村さんの下地になっているのだなと感じます。写真家として、今後の計画のようなものは何かありますか?
中村さん:
作家としては、毎年3枚ずつくらい良い写真を残せたら嬉しいです。あと昨年は何百枚と作品をプリントしましたが、全くプリントしていない年もあるので、プリントをバランスよく定期的に行うようにします。
「良い写真」は見ていて飽きない、ずっと飾っておきたくなるような写真のこと。そんな作品を撮り続けたいと思っています。
― なぜ「3枚」なのか、気になります。
中村さん:
5枚は撮れないだろうなと思っています。いや、本当は良い写真が1枚撮れたら「お〜!」って思うんですけど、それは目標として低いかなと。なので、3枚ずつくらい残せたらいいなと思っています。
年間に何万枚も撮影しているので、撮れば撮るほど良い写真って難しくなってくるんですよね。
― 撮れば撮るほど… というのは、長年撮り続けている中村さんだから見える景色なのだろうなと感じました。では、旅の写真家として、今行きたい場所、撮りたい場所はありますか?
中村さん:
クルーズで行くなら南極ですね。北極圏は何度か行っていますが、南極はまだ行ったことがないんです。ひとつの到達点のような気がして、憧れています。
あとは、ずっと撮りたいなと思っているのはマナティです。以前、小笠原でクジラを追い続けて感動したのもありますが、生き物を追い続けて生態を観察しながら美しい写真を撮る。それをマナティでやってみたいです。
― 面白そうですね! そのときは、写真に添えられる中村さんの文章も楽しみにしています! 最後に、写真集全体を通して、また読者に伝えたいメッセージをお願いします。
中村さん:
日本の客船はもともと少なく、全隻あわせても世界中で運航する1〜2%程度という市場です。島国にしてはちょっと寂しい数字です。特ににっぽん丸は、日本で造船された最後の日本のクルーズ客船です。まずは、日本にこんな美しい客船があったんだということを、この写真集を通して後世に伝えられたらと思います。そして乗船したことのある人にとってはその思い出として、働いたことのある人にとっては人生の一時代としての記録になってもらえたら嬉しいです。
インタビュー後記:「水の軌跡」が永遠の栞となって
中村さんが17年という長い年月をかけて見つめてきたのは、船体の美しさだけではありません。それは、乗客や乗組員が紡いできた目に見えない時間や、船が海に描いてきた水の軌跡『waterline』そのものだったのだと、今回のインタビューを通して感じることができました。
一つの時代が幕を閉じようとする今、切り取られたその光の一片一片は、にっぽん丸を愛したすべての人々の記憶を繋ぎ止める、永遠の栞となるでしょう。「撮り続けてきた被写体」への深い敬意と愛着が静かに伝わるインタビューでした。
にっぽん丸に乗船されたことがなくても、海が好きな人、船が好きな人、写真が好きな人にぜひお手に取っていただきたい一冊です。
【完全保存版】引退記念写真集『waterline - にっぽん丸の軌跡』
写真家・中村風詩人さん
世界一周の旅を始め、今まで80か国以上に渡航し、撮影を行なう。森をテーマに個展や東京都美術館でのグループ展にも出展。著書『ONE OCEAN』では、世界3周分の海の写真をまとめた。他にも船でしか行けない世界遺産『小笠原のすべて』や、『本能のデザイン』、『waterline - にっぽん丸の軌跡』など著書多数。年間200の写真展に足を運び、現在600冊の写真集、50枚以上のオリジナルプリントを収集するコレクターでもある。審査員を務める世界旅写真展ではこれまで鬼海弘雄氏、石川梵氏など著名な写真家と共にフォトアート作品の普及に寄与してきた。
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