祈りの島、静かなる波の音 ― 五島列島で「隠れキリシタン」の記憶を辿る

写真・文=帆志麻彩

旅には、景色を楽しむ「動」の旅と、その土地が抱える記憶に深く沈み込む「静」の旅がある。

昨年9月、私はクルーズ船の仕事で長崎県・五島列島に初めて降り立った。船から眺める島々は、夏の太陽の光を受け、エメラルドグリーンの海に小さな宝石を散りばめたように美しく輝いていた。しかし、その美しさの奥底には、数百年もの間、静かに、けれど激しく守り抜かれてきた「祈り」の歴史が息づいている。

この日私は、隠れキリシタンの足跡を辿るオプショナルツアーに参加した。福江島の港から地元の小さな観光船へと乗り換え、波に揺られながら、信仰を隠し通した人々の記憶を紐解く旅に出た。


迫害の果てに求めた安住の地

五島列島とキリスト教の歴史を語る上で欠かせないのが、江戸時代から続く激しい迫害の記憶だ。

幕府による禁教令が出された後、長崎の外海(そとめ)などに住んでいたキリシタンたちは、「五島へ行けば、信仰を守りながら生きていける」という一縷の望みを抱き、海を渡ったという。当時の五島は未開の地が多く、過酷な開墾を条件に彼らを受け入れたのだ。

彼らは表向きは仏教徒を装いながら、ひそかに「納戸神」を祀り、祈りを捧げ続けた。それを支えていたのは、「パライゾ(天国)」への希望。どれほど現世が苦しくとも、この祈りを絶やさなければ、いつか必ず天国へ行ける。救われる日が来る。その一途な想いが、五島の険しい断崖や深い森の中に、独自の「隠れ」の文化を形作っていった。

観光船が白い飛沫を上げながら進むにつれ、海岸線は険しさを増していく。切り立った崖が続くリアス式海岸の風景は圧巻だが、そこに「逃げ場」を求めた人々の心境を思うと、単に「美しい」と片付けるには重すぎる情感がこみ上げてくる。


沈黙の希望に思いを馳せて

観光船が若松島の沿岸に差し掛かった時、ガイドさんが前方を指差した。

「向こうの岩に白い像があるんですけど、見えますか? あの場所がキリシタン洞窟です」

そこは、明治に入ってからの最後の大弾圧「五島崩れ」の際、数家族の信徒が逃げ込んだとされる洞窟だった。陸路はなく、海からしか近付けない断崖絶壁の裂け目。彼らはここで、焚き火の煙を見つけられるまで身を潜めていたという。

船はゆっくりと速度を落とし、洞窟へと近付く。波が岩肌を叩く音が徐々に大きく聞こえてくる。その洞窟入口の傍ら、岩棚の上にキリスト像が立っていた。海を見つめるその白い像は、あまりにも孤独で、けれど気高くも見える。周囲の厳しい自然環境とは対照的なその静かな佇まいに、私は少しの間言葉を失った。

この像は1967年に設けられたものだそうだ。見つかってはいけないのだから当然のことだが、当時ここにはキリスト像などなかった。あるのは冷たい岩肌と、暗闇、そして波の音だけだったはずだ。それなのに、彼らは絶望的な暗闇の中に光を見ていたのだ。いくら空を仰いでも、沈黙を続ける神に対し、もどかしさを感じる夜はなかったのだろうか。特別な信仰がない私には到底想像が及ばない世界だが、極限状態の中で彼らの心を繋ぎ止めていたのは「魂の自由」だったのだろう。そんなことを思った。

観光船から見上げるキリスト像は、今もなお、海を渡るすべての人々の無事と、かつてこの場所で祈り果てた人々の魂を慰めているようだった。揺れる船の上でシャッターを切る私の指先は、言いようのない感情で、微かに震えていた。


海辺に咲く「祈りの結晶」

他にも、五島列島の島々に点在するいくつかの教会を訪ねた。

禁教が解かれた後、五島の人々は乏しい生活費の中から少しずつ資金を出し合い、自分たちの手で教会を建てたそうだ。ある者はレンガを積み上げ、ある者は海辺の石を運び、ある者は木の彫刻を施した。

どの教会も、決して華美ではない。けれど、一歩足を踏み入れると、そこには凛とした静寂が満ちている。ステンドグラスから差し込む光が床に淡い影を落とし、使い込まれた木のベンチが、長い年月人々の祈りを受け止めてきたことを物語っていた。

旅を終えて ― 祈りの原風景

隠れキリシタンの足跡を辿る一日を終え、再び大きなクルーズ船へと戻る。デッキから遠ざかっていく島影を眺めながら、私は先ほど見たキリスト像のことを考えていた。

旅に出るということは、その土地の「光」だけでなく「影」も知ることなのだと思う。五島の旅は、私たちが当たり前のように享受している「信じる自由」や「表現する自由」が、どれほどの犠牲の上に成り立っているかを、静かに問いかけてくる。

隠れキリシタンたちが守り抜いたのは、宗教的な教義だけではなかったのではないか。それは、「自分の中心にある大切なものを、誰にも奪わせない」という、人間としての尊厳そのものだったのではないだろうか。

まだ五島列島を訪れたことがない方は、いつの日か、海からあのキリスト像を見上げてみてほしい。きっと、言葉を超えた強さが波の音と共に息づいているのを感じるはずだ。派手な観光名所はないが、一人の人間として真っ直ぐに立つための「祈りの原風景」が、そこには確かに存在している。◇ 若松島・キリシタン洞窟
住所:長崎県南松浦郡新上五島町土井ノ浦(※船のみ巡礼可)
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洞窟クルーズ



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