ヴェネツィア本島から水上バスでガラスの島へ。ムラーノ島で職人の眼差しに触れる

水上バスの波を立てる音とともに、ヴェネツィア本島の喧騒が遠ざかっていく。細かな雨が降るなか、波を切って進むこと約20分。辿り着いたのは、ラグーナの北に浮かぶ小さな島、ムラーノだ。

ここは、かつてヴェネツィア共和国がその技術を守るため職人たちを集めたガラスの島。今はその歴史が穏やかな島の日常に溶け込み、訪れる旅人を色鮮やかな工芸品たちが迎えてくれる。

水上バスに揺られ、水の都の日常を体験する

乗船していたクルーズ船がヴェネツィアに入港したこの日、珍しく自由時間があったので、ふと思い立ってムラーノ島を訪れてみることにした。

ヴェネツィアという特異な街は、無数の島々が海の上に寄り添うようにして形作られているが、その島々を訪れるには水上バス(ヴァポレット)を利用することになる。「水上バスを乗り継いで…」なんて聞くと、少しばかりハードルが高く感じられるかもしれないが、水の都・ヴェネツィアで暮らす人々にとっては、私たちがいつも街で乗るバスと同じ、ごく当たり前の日常なのだ。

サン・マルコ広場 からムラーノ島行きが出ている乗り場へと向かう。リアルト橋を通るルートを選び、徒歩で20分弱くらいだっただろうか。乗り場でチケットを購入し、初めての水上バスに乗り込む。移り変わる水の表情、遠くなっていくサン・ジョルジョ・マッジョーレの大鐘楼。船の窓から眺める風景は、それ自体がひとつの絵葉書のようだ。当初の旅程にはなかったが、ここヴェネツィアの地で水上バスに乗るという経験ができてよかった、そう感じる時間だった。

小さな工房で出会った職人の眼差し

島に降り立ち、運河沿いを歩く。軒を連ねる工房のひとつを覗かせてもらうと、本島の観光地のような華やかさとは無縁の、静かでゆったりとした時間が流れていた。

片隅では一人の職人が作業台に向かっている。手招きされるまま、作業風景を近くで見学させてもらうことにした。バーナーの青い小さな炎にかざされたガラスは、はちみつのようにとろりと溶け始める。職人は細いピンセットや小さな道具を使い、溶けたガラスを優しく操っていく。一点を見つめる真剣な眼差し。数分前まではただのガラスの棒だったものが、彼の指先を通るたびに、繊細な花や可愛らしいハートへと姿を変えていく。箱の中に集められたガラスの欠片たちは、ひとつとして同じ表情を持っていない。その瞬間のインスピレーションが、鮮やかな赤の中に凝縮されているようだった。

ガラスの輝きに目を奪われていると、職人は微笑みを浮かべ、出来上がったばかりの小さな欠片を差し出してくれた。手のひらから伝わる微かな熱が、まさに今ここで生まれたものの証のようで、私も自然と笑みがこぼれていた。

その土地の断片を持ち帰る

工房内には、ムラーノの代名詞とも言える「ミッレフィオーリ(千の花)」が飾られていた。他にも、色鮮やかなオブジェやアクセサリー、そして複雑な光の層を生み出す繊細なシャンデリアなどが並んでいる。それらは長い歴史の中で育まれてきた美意識の結晶だ。かつては国家機密として厳重に守られた技術が、今ではこうして旅人の目の前で、穏やかな日常の風景として共有されている。大規模な工場で量産されるものではない、誰かの手から生まれた "たった一つ" を選ぶ喜び。ムラーノでの体験は、そんな素朴な豊かさを思い出させてくれた。外に出ると雨はまだ静かに降り続いていた。濡れた石畳は鈍い光を返し、ショーケースに並ぶガラスたちはその僅かな光を纏い、一層深みのある色を見せている。

ふと思う。あの職人の指先から生まれた小さな赤いガラスが自分の部屋の窓辺に置かれたとき、そこにはヴェネツィアの空の色や、ラグーナを渡る風の匂いが、確かな記憶として宿るのだろうか。旅先で手にする小さな工芸品とは、私たちが持ち帰ることのできる、その土地の断片なのかもしれない。

帰りの水上バスから遠ざかってゆくムラーノの島影を眺めながら、私はポケットの中にある小さな包みを大切に握りしめた。

◇ ムラーノ島|Murano
住所:Riva Longa, 30141 Venezia VE, Italy
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公式HP

【アクセスと上陸】
ヴェネツィア本島から ヴァポレット(水上バス)を利用。フォンダメンテ・ノーヴェ(Fondamente Nove)から、3/4.1/4.2番でムラーノ島へ行くことができます(最も頻繁に運行されており、所要時間も短いです)。
※ 1日3回以上利用する場合は、ヴァポレットの乗り放題チケットを購入するとお得です。

【工房見学のポイント】
・気軽に見学
小さな工房ではデモンストレーションを見せてくれることも。数分程度の短いパフォーマンスですが、旅の素晴らしい思い出になります。
・見学料
観光客向けのパフォーマンスの場合は無料の場合も多いですが、チップボックスが置かれていることもあります。

【おすすめの過ごし方】
・ガラス美術館(Museo del Vetro
この日は時間の都合で見学できませんでしたが、ガラス美術館は島の方にもおすすめされたのでぜひ訪れてみてください。古代ローマから現代までのムラーノ・グラスの歴史を辿ることができるようです(筆者も次回は訪れてみようと思っています)。
・路地裏歩き
運河沿いの大通りだけでなく、一本裏に入った静かな路地を歩いてみるのもおすすめです。島の人々の暮らしと、窓辺に飾られたさりげないガラス細工を見るのもとても楽しい時間です。


写真・文=帆志麻彩


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