漂いながら、生きる旅。#4「航路を選ぶとき」
生きる、はたらく、つくる。人生そのものを旅路と捉えた「過程」の記録。
日常の中で生まれる気づきや心の揺らぎをたどり、書き留めるエッセイ。
寄稿者=大中原春菜(グラフィックデザイナー)


旅をしていないはずなのに、なぜかずっと「旅」をしている感覚がある。
日々を生き、はたらき、つくること。
その繰り返しの中で、私たちは知らないうちに、幾度となく選択をしている。
自分にとって何が大切で、何を大切にしたいのか。何を選び取り、何を手放すのか。自分の言葉や行動に対して責任を持ち、決断し、取捨選択をする。
遠くへ行かなくても、心はいつも少しずつ漂流している。そんな人生という旅の途中で、立ち止まりながらどう漂いながら生きるのかを見つめつつ、アートと日常のあわいにある心の動きを記録する「灯台の時間」のような、小さな記録です。
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曖昧さは、苦手だ。
白黒をつけたいわけではない。
ただ、未確定なまま思考が分散していく状態に、どうしても息が詰まる。
言い訳を並べたり、トラウマのせいにしたり、お世辞や社交辞令のようにことばを濁す文化に、どこか居心地の悪さを感じてしまう。
それはきっと、ことばの行き先が曖昧なまま、宙に残されてしまうからなのだと思う。責任のないことばを発するということは、知らないうちに、自ら信頼を少しずつ手放しているということなのかもしれない。
だからこそ、できるだけシンプルでありたいと思っている。
人と人とのあいだには、「対話が成立する場所」と「そもそも成立しない場所」がある。意見が違うことは問題ではない。価値観がずれていることも自然なことだ。むしろ全員が同じ方向を向き、同じ意見を持っている方が不自然だとさえ思っている。
けれど、ときどき出会う。ことばを交わしているようで、実際には何も交わっていない場所に。理解しようとする姿勢がなく、ただ一方的に流れていく会話。どれだけことばを選んでも、どれだけ誠実であろうとしても、届かない。
以前は、それでも「伝え方」の問題だと思っていた。もっと丁寧に。もっとやわらかく。もっと歩み寄ればいいのだと。
でも、あるとき気づいた。これは、分かり合えないのではなく、最初から対話が成立していないのだと。自責の捉え方を、きっと間違えていたのだと思う。課題分離に着目し、これは誰の課題なのかを見つめ直したとき、少しだけ視野がひらけた。
歩み寄りは、自分の軸を保ったまま距離を縮めること。
迎合は、その軸を手放して、関係を保とうとすること。
対話が成立しない場所に居続けると、この境界は曖昧になっていく。
気づけば、自分の声は小さくなり、違和感に蓋をすることに慣れていく。自分さえ我慢すれば、穏便にやり過ごせるだろうと、ことばも感情も刺さった棘も飲み込む。でも、それはやさしさなのだろうか。本音を飲み込んだ分だけ、自分が削られていく感覚になる。
境界線は、誰かを拒絶するためのものではなく、自分が自分であるための輪郭だ。回避したままでは、いつの間にか相手の荒波にのまれてしまうこともある。
だから私は、離れる選択をする。
戦わずに。証明しようとせずに。理解させようともせずに。
ただ、静かに。
ことばが届く場所。沈黙さえも意味を持つ場所。声を荒げなくてもいい場所。
深く呼吸ができる環境で、自分で舵を取りながら、“航路”を選びながら進んでいきたい。
それはきっと、広い海のどこかにあるものではなく、自分で静かに選び続けるものなのだと思う。
Profile
大中原春菜 / アートディレクター・グラフィックデザイナー・ペインター
1995年、東京生まれ。
東京デザイナー学院卒業後、Web広告のベンチャーとデザイン事務所を経て、2024年より自身のクリエイティブスタジオ「noaun(ノアン)」をはじめる。東京を拠点に、ブランディングを軸とした様々な領域のデザインを行う。 日常の心地よい空気感や光をテーマに抽象画をメインとした制作活動や、余白とあたたかみを大切にしたイラストレーションも手掛けている。
