展覧会とコンサート、重要な共通点はどちらも「良い物語」を語ること ― ピアニスト・作曲家Henning Schmiedtさん / インタビュー前編

【ドイツ在住のピアニスト、ヘニング・シュミートさん】インタビュー前編:Henningさんの最新アルバム『Orange』、自身初となる展覧会について

ベルリン在住の写真家・中島ゆう子がヨーロッパ在住のアーティストにお話を伺い、不定期で更新するインタビュー企画です。今回は、At Sea Day 特別企画としてベルリン在住のピアニスト・作曲家のHenning Schmiedt氏をご紹介します。


日本でも人気の高いドイツ出身のピアニスト・作曲家のHenning Schmiedt(ヘニング・シュミート)さんにインタビューする貴重な機会をいただいた。Henningさんの音楽や作品制作、東ドイツという時代をどのように生き、どのように音楽と関わってきたのか、創作活動とパーソナルな部分にフォーカスを当て、お話をお伺いした。
前編では、Henningさんの最新アルバム『Orange』、自身初の展覧会についてご紹介したい。


「本当に大切なものは目に見えない。心で見なければならない」(星の王子さまより引用)― 展覧会で表現したこととは


 中島:
今回、どのような経緯で展覧会を開くことになったのでしょうか? また、展覧会でHenningさんがどのようなことを表現されたのか教えてください。

Henningさん(以下、Henning):
この展覧会のキュレーターはHiroyuki Sugiharaさんです。彼は、私の芸術作品に関する展覧会やインスタレーションを企画するきっかけとアイデアを与えてくれました。私たちは数年来の知り合いで、定期的に会い、アートや人生について語り合っています。Hiroは芸術に強い感覚を持ち、日常生活でもアートに触れています。アートは文化的な上部構造ではなく、精神的・情緒的な“栄養”であり、自己肯定や自己反省の手段、日常生活に必要なものであるという考え方は、私もよく理解しています。Hiroのこの展覧会のコンセプトは、いわば俳句のようであり、非常に縮小され、観覧者に連想の余地を残していると感じています。作品の前に並ぶチャーチチェアと〝祭壇〟に見立てた展示物が教会のような静寂の世界を演出し、幻想的な展示空間となっている。


中島:
展示されているオブジェクトはHenningさんのとてもパーソナルな部分を感じました。お兄さまが作られたライト、「Schmiedt」と彫られたプレートなど、Henningさんのルーツをも表現されているように見受けられます。それぞれのオブジェクトにはどんな意味合いが込められているのでしょうか?キュレーションを務めたHiroyuki Sugihara氏


Henning:
私の兄ステファンは、非常に器用で創造的な人間です。彼は比類のない美しい一点物の家具を作り上げており、そのいくつかは私の家にも置いてあります。Hiroは、私の自宅やスタジオなどの中から展示するものを探していた際に、このグランドピアノ用のランプに気付きました。グランドピアノに適した照明を作るのは簡単ではありません。一方では、機能的であり、楽譜台や鍵盤をしっかり照らす必要がありますが、他方では、あまり場所を取らず、ピアノと調和がとれた良い形で対照を成すべきです。現在の形のグランドピアノは、ロマン主義の完璧な象徴でなんと150年以上にわたり、その姿はほぼ変わることなく製造され続けています。このモダンで木でアレンジされたランプは、楽器と調和が取れているだけでなく、まるでピアノの上に自由に浮かんでいるように見えます。
インスタレーションにはいくつか木製の要素が組み込まれているのですが、この苗字が刻まれたプレート(表札)も木製なのです。このオブジェもHiroが選びました。これは、私の故郷であるエルツ山地(ドイツとチェコの国境沿いにある山脈)の彫刻師によるものです。私はこの表札をとても気に入っており、いくつもの引っ越しを共にしてきました。 エルツ山地の人々は、経済的に困難な時代に、木製のおもちゃを作り、旋盤加工や彫刻を始めました。音楽的にも、私のエルツ山地の故郷は大きな影響を与えています。クレンデ合唱(子どもたちの巡回聖歌隊)、トロンボーン合唱団、そして父の教会でのオルガン演奏。これらの伝統は、私の幼少期に深い感銘を与え、今でも私の中に息づいています。〝祭壇〟には、およそ100年前に作られたメトロノームや手書きの楽譜、70年ほど前の古いレコードプレイヤーが並ぶ。このメトロノームの音がとても好きだ、とHenningさんが語ってくれた。

Henningさんのお兄さまが制作されたランプ。木製の足元がまるでオブジェのようだ。


中島:
展示とコンサート。演奏の有無などアプローチ方法として物理的に大きな違いがありますが、内容的・表現的な部分での違いはあるのでしょうか? 

Henning:

明らかな違いは、展覧会は本質的に視覚的に機能するのに対し、コンサートは聴覚的に認識されるという点です。サン=テグジュペリの『星の王子さま』にはこうあります。「本当に大切なものは目に見えない。心で見なければならない」。私は視覚芸術において、すぐには見えないもの、暗示されることで初めて鑑賞者の意識の中で意味や美しさが花開くようなものに興味を持っています。音楽は言葉を伴わない非視覚的な芸術であり、比較的直接的に心へと届きます。それは、ここでも同じことが言えます。明白なものがそのままメッセージなのではありません。表面的には受動的に思われる聴衆や観客の内省の中でこそ、芸術はプロセスとして実現されるのです。
展覧会とコンサートの重要な共通点は、どちらも理想的には「良い物語」を語るということです。良い物語や優れた芸術は、常に複数のレベルで同時に機能します。鑑賞者や聴衆は、自分が共鳴するレベルを選び取ることができるのです。芸術には、感覚的・身体的な体験だけでなく、知的な洞察や感情的な体験も含まれます。芸術と向き合い、集中することで、人は成長し、自分自身をより深く理解することができるのです。

作品を鑑賞していると、Henningさんが演奏している姿が重なってくる。

『Piano Diary』のレコードが美しく回る。


「オレンジ」は、単なる色以上のもの ― 2024年10月にリリースされたアルバム『Orange』と「第二の音楽の故郷」である日本に対する思いとは


中島:

最新アルバム『Orange』についてお伺いします。 今まで発表されたアルバム名はドイツ語を使われたものが多く、ピアノを意味する『Klavier』やベルリンの冬を連想させる『Wolken』(雲)、もはやドイツの文化のひとつである『Spazieren』(散歩)といった具体的なタイトルが多い印象です。今回のアルバムタイトル『Orange』はそれらと比較するとやや抽象的な印象を受けました。タイトルに込めた思いはどんなものでしょうか。収録されている曲はどんなことにインスパイアーされて制作されたのか教えてください。

Henning:
多くのアルバムにドイツ語のタイトルをつけてきたのは、母語であるドイツ語で表現することが私にとって重要だったからです。しかし、ここ数年、国際的なアーティストたちと多くのコラボレーションを重ねる中で、芸術の世界でも共通語としての英語が、私にとって第二の母語のような存在になりました。

アルバムについて、私はこう書きました。

「オレンジ」は、単なる色以上のもの。
それは香りであり、温もりの感覚、調和、創造の喜び、夏の太陽のような暖かさ。
フルーティーで、はじけるような感覚。
癒しのオレンジゴールドの光。
創造性と幸福のアクティブな状態。
まるで、森の湖での爽やかなひと浴びのように。
すべてを包み込む、温かく響きわたる音。

2024年10月にリリースされたアルバム『Orange』


中島:
2025年2月に開催される日本でのコンサートでも『Orange』から何曲か演奏されること、ベルリンにいる私もとても楽しみです!コロナ禍を挟んで久々の来日になりますが、Henningさんと日本との関係や日本への思いをお聞かせください。

Heninng:
日本を最後に訪れてから8年が経ちました。日本でのコンサート、私と日本の関係、そしてそれに対する想いについてお話しします。日本は、私にとって同時に異国でありながらも親しみを感じる場所です。近年、日本は私にとって第二の音楽的な故郷となりました。その大きな理由のひとつが、レーベル FLAU の創設者である福園さんとの出会いです。彼は20年前に私に連絡をくれ、日本で私の最初のソロアルバムをリリースしたいと言ってくれました。こうして『Klavierraum』が誕生し、そのデザインを手がけたのがNatsuko Mizushimaさんでした。Natsukoさんは、今回の展覧会にも重要な形で関わっています。彼女が手刺繍で仕上げた『Klavierraum』や『Klavierraum,später』のカバーは、独自の美しさ、オリジナリティ、そして遊び心に満ちています。FLAUでは、これまでに10枚のソロアルバムと、いくつかのデュオ作品を発表してきました。素晴らしい日本のデザイナーである三宅さんがデザインを手がけた作品も多くあります。日本でのコンサートは、特別な体験です。私は、日本の聴衆が芸術、そして精神的なものに対して特別な敬意を抱いていると感じます。少しだけ日本語を話すことはできますが、言葉によるコミュニケーションはどうしても断片的になります。しかし、音楽の言葉においては、それが完全に成り立つのです。だからこそ、日本でのコンサートは、私にとって特別な喜びなのです。展示空間の『Klavierraum』コーナー。観覧者は『Klavierraum』を聴きながら紙に刺繍された美しいオリジナルジャケットを鑑賞することができる。

Natsuko Mizushimaさんによる手で刺繍されたピアノ

『Klavierraum』の視聴コーナー

ヨーロッパのピアノ椅子には背もたれがなく、背もたれのある椅子は日本独自のもの。刺繍が施されたピアノ椅子から“日本らしさ”を感じ、Henningさんも特にこのオリジナルジャケットを気に入っているそう。


中島:
日本はHenningさんにとって「第二の音楽の故郷」とのことですが、日本での経験は、作品にどのような影響を与えたのでしょうか?

Henning:
日本には、他の国にはない独特の美意識があると思います。 ミニマリズムや、不完全なもの・朽ちていくものの美しさ、そして「間(ま)」という空間の概念は、私の音楽にも影響を与えました。
また、多くの俳句に見られる「本当に大切なことは言葉にせず、あえて語らないことで表現される」という考え方には、強く心を打たれました。
でも、日本は私にとって単なる芸術的な拠点ではありません。 東京の音楽レーベルとその創設者である福園さん、そしてあたたかく感受性豊かな日本の観客のおかげで、日本は「もうひとつの故郷」になったのです。

展示空間でお兄さんや「先生」に作品を説明する笑顔のHenningさん

インタビュー後記:「良い物語」について

Henningさんの音楽を初めて聴いたとき、真冬の寒々しいベルリンにいるはずなのに、私の心は初夏に訪れたシュラハテンゼー(ベルリン郊外の湖)へと誘われた。子どもが生まれて初めて家族で過ごした、あの美しい夏の日。手足がそっと湖に触れたときの水の冷たさ、子どもの顔の上で揺れる木や葉の影——愛おしい時間を懐かしく思いながらも、過ぎ去ってしまったそれぞれの瞬間を恋しく思う寂しさで胸がいっぱいになった。
そっと目を開け、アルバムジャケットを見つめると、そこにはドイツ語で Klavierraum と書かれていた。“ピアノの部屋” ― なんて美しいタイトルなのだろう。そう感じたあの日から2年の歳月が流れたある日、共通の知人を通じて、『Klavierraum』の作曲家でありピアニストであるHenning Schmiedtさんにお会いする機会をいただいた。Henningさんのお人柄は、まさにHenningさんが奏でる優しい音色そのものだった。
展覧会は3月いっぱいまで開催されている。ベルリンにお越しの際は、ぜひ足を運び、Henningさんの静かで深い世界をじっくりと堪能していただきたい。


Henning Schmiedt 展覧会開催概要

会期:2025年2月2日(日)〜2025年3月31日(月)
*展覧会ご鑑賞ご希望の方は下記メールまでお問い合わせください。
hofficeberlin@gmail.com

〈 今回お話を伺った人 〉

Henning Schmiedt(ヘニング・シュミート)さん

1965年生まれ、旧東ドイツ出身のピアニスト、作曲家、編曲家。
早くからジャズ、クラシック、ワールドミュージックなどジャンルの壁を超えた活動を先駆的に展開。80年代中盤から90年代にかけて様々なジャズ・アンサンブルで活躍後、ギリシャにおける20世紀最大の作曲家と言われるMikis Theodorakis(ミキス・テオドラキス)から絶大な信頼を受け、長年にわたり音楽監督、編曲を務めている。また、世界的歌手であるJocelyn B. Smith(ジョセリン・スミス)やMaria Farantouri(マリア・ファラントゥーリ)らの編曲、ディレクターとして数々のアルバムやコンサートを手がけ、同アーティストの編曲でドイツ・ジャズ賞、ドイツ・ジャズ批評家賞を受賞、女優Katrin Sass(『グッパイ・レーニン』他)やボイス・パフォーマーLauren Newtonと共演した古典音楽のアレンジなど、そのプロデュース活動は多岐に渡っている。
ソロとしてもKurt Weilなど幾多の映画音楽やベルリン・シアターで上演されたカフカ『変身』の舞台音楽、2008年ベルリン放送局でドイツ終戦60周年を記念して放送された現代音楽『レクイエム』などを発表し、高い評価を獲得。名指揮者クルト・マズアーも一目置くという個性的なアレンジメントやピアノ・スタイルは、各方面から高い評価を受けている。

FLAUよりリリースされたソロ・ピアノ作品がいずれもロングセラーを記録中。ausとのプロジェクトHAU、Marie Séférianとのnous他、Christoph Berg、Tara Nome Doyleなどコラボレーション作品も多数。主な共演者にズルフ・リバネリ、チャールズ・ロイド、ミルバ、アル・ディ・メオラなど。

http://henning-schmiedt.de/


▼インタビュー後編(3月公開予定)
後編では、音楽制作や東ドイツ時代のこと、さらに「旅と音楽」ついてご紹介予定です。ぜひ楽しみにお待ちいただけると嬉しいです。

取材・文・撮影 =中島ゆう子