「旅とは、好奇心を持ち、学び、驚嘆すること」 ― ピアニスト・作曲家Henning Schmiedtさん / インタビュー後編

【ドイツ在住のピアニスト、ヘニング・シュミートさん】インタビュー後編:音楽制作、若い頃過ごされたDDRという時代、Henningさんにとっての“旅”について
日本でも人気の高いドイツ出身のピアニスト・作曲家のHenning Schmiedt(ヘニング・シュミート)さんにインタビューする貴重な機会をいただき、Henningさんの音楽や作品制作、東ドイツという時代をどのように生き、どのように音楽と関わってきたのか、創作活動とパーソナルな部分にフォーカスを当て、お話をお伺いした。
後編では音楽制作や東ドイツ時代のこと、さらに「旅と音楽」ついてご紹介したい。
音楽には壁を越え、人々の間に調和をもたらす力がある — 馴染めない社会の中で「避難所」だった音楽
中島:
Henningさんは壁が分断されて間もない頃に生まれ、旧東ドイツという時代を生きてこられました。当時、Henningさんにとって音楽はどのような存在でしたか?
Henningさん(以下、Henning):
私の父はハイデルベルクで神学を学んだ後、東ドイツ(DDR)へ行き、小さなエルツ山地の町で牧師職を引き受けることを決意しました。当時、西ドイツから東ドイツへ移る人は極めて珍しいことでした。私の幼少期から青年期にかけて、兄たちと私は支配的な社会主義体制に対して批判的な立場を取っていました。私は音楽を常に愛していましたが、本来の興味のままに進めるなら、おそらく考古学者になりたかったでしょう。しかし、牧師の息子であり、信念を持った平和主義者であった私にとって、そのような教育の道は閉ざされていました。音楽は私にとって「避難所」のような存在であり、馴染めない社会の中で調和を見出すための手段でした。この役割は、今でも私にとって変わることのないものです。
中島:
私は在独日本人として、旧東ドイツ時代のことや壁で分断されていた当時のドイツの様子は、映画や本、資料館でしか知ることができません。Henningさんの環境を想像すると、私は自分の気持ちを言葉でうまく表現できません。旧東ドイツで育った経験は、Henningさんの音楽活動にどのような影響を与えましたか?特に、物理的な場所がHenningさんの創造性に与えた影響について教えてください。
Henning:
私のDDR時代の青春を象徴する経験は、「不自由さ」でした。自分の思うことを自由に話すことも、考えることも、演奏することもできませんでした。しかし、言葉を必要としない音楽、特に即興演奏は、検閲の影響を受けにくいものでした。もしかすると、私は自由を求める気持ちから音楽へと導かれたのかもしれません。東ドイツでフリージャズが特に人気のあった芸術形態だったのも、決して偶然ではないと思います。
私の家族の多くは、西ドイツの向こう側に住んでいました。彼らに会いに行くことは不可能で、手紙を書くことさえも困難でした。電話をかけるには、何時間も前に予約をしなければならないこともありました。
ベルリンの壁が崩壊する数年前、私は壁のすぐそばに住んでいました。毎日、武装した兵士たちが見張る姿を目にしました。彼らは、ただ家族のもとへ行こうとする人々に向かって発砲することさえあったのです。だからこそ、私の音楽には調和的な要素が多く含まれているのかもしれません。私は、音楽には壁を越え、人々の間に調和をもたらす力があると信じています。アップライトピアノとDDR時代のマイクの前で『Klavierraum』の『240g Mehl』を演奏してくださった。
重要なことは、あらゆる芸術的な出会いから何かしらのアイデアや学びを得ること
中島:
私は写真家・アーティストなので、アーティストとしてHenningさんが今どのようなことに興味をお持ちなのか知りたいです。HenningさんのMy favorit Thingsは何ですか?
Henning:
私は、朝、一日が始まる前に即興演奏や作曲をするのが好きです。静けさは創造性を発揮するのに最適な場所です。音楽を録音したり作曲したりすると、後になって初めて、その音楽のテーマが何であったかを認識できることがあります。例えば、私の最新アルバム『Orange』では、完成した音楽を聴いて初めて、「この音楽にはオレンジの色彩がある」と気づきました。オレンジは単なる色や果物ではありません。
それは人生の感覚であり、大きな病の時代を経て、欠乏の後に新たな意味を持つようになったものなのです。
中島:
私は写真家の師匠・坂田栄一郎氏から、写真の技術的なことだけでなく、芸術とは、生きるとは、ものづくりの姿勢などを学びました。Henningさんにも師匠はいらっしゃいますか?もしいらっしゃるのなら、その師匠からどんなことを学びましたか?
Henning:
私はこれまでの人生で偉大な芸術家たちから学ぶ機会に恵まれ、それに対して計り知れない感謝の気持ちを抱いています。特に、私にとって学問の道が閉ざされていたからこそ、彼らとの生きた出会いは何倍にも貴重なものとなりました。そこで学んだのは、単なる技術の伝授ではなく、むしろ包括的なアプローチや芸術に対する姿勢でした。私にとって常に重要なのは「どのように」取り組むかであり、「何を」するかは二の次なのです。
本来なら、私が多くを学び、深く感謝している人々の名前を挙げるべきでしょう。その中で特に、今年100歳を迎えるはずだったMikis Theodorakis(ミキス・テオドラキス)に触れたいと思います。彼とは長年にわたる芸術的な友情を築いてきました。また、Zülfü Livaneli(ズルフィ・リヴァネリ)やMaria Farantouri(マリア・ファラントゥーリ)も、まったく異なる形で私に強い影響を与えてくれました。
しかし、私にとっては、あらゆる芸術的な出会いから何かしらのアイデアや学びを得ることが重要なのです。例えば、Hiroのこの展覧会におけるミニマリズムのアプローチは、私にとって非常に大切なことを思い出させてくれました。彼は、数多くの魅力的で華やかで興味深いオブジェから寄せ集めるのではなく、厳選した少数の作品を空間に配置しました。しかし、本当の意味で芸術体験を形作るのは、圧倒的な物量ではありません。絵画も音楽も、そしてそこから得られる気づきも、鑑賞者の想像力や精神の中でこそ成熟し、完成されていくものです。それは、芸術家が単にインスピレーションを与えるに過ぎない、完璧で美しい世界なのです。私は、ただ観る者を圧倒することを目的とした美学には共感しません。芸術とは、静かな対話であり、鑑賞者との共鳴によって深まっていくものです。そこに生まれるフィードバックこそが、作品に新たな価値を与えるのです。そして、本当に大切なものは、言葉にされずとも、確かにそこに存在し続けるのです。
私は自分の音楽を決して同じように演奏することはなく、常にその場所や時間帯、天気、そしてもちろん出会う人々に合わせて調整しています。 理想的なコンサートでは、聴衆と演奏者の間に「共鳴(レゾナンス)」が生まれ、アーティストの体験が観客の心にある種の形で映し出されると信じています。 同時に、観客もまた演奏者に多くのものを返すことができ、それが演奏に影響を与えます——それは単なる拍手のことではありません。 私が言いたいのは、もっと深いレベルでのつながりであり、それを私は「共鳴」と「幸福感」と呼んでいます。 この感覚は、コミュニケーションにおいて摩擦が生じないときに生まれるものです。 時には、ある楽曲を、いつもよりも半分の音数で、全く異なるテンポで演奏することがあります。 それは、その瞬間において、それが最も自然で正しいと感じられるからです。


旅と音楽について
中島:
最後に、At Sea Dayは「旅とアート」をテーマにしたマガジンなので、ぜひHenningさんと旅との関係性を教えてください。Henningさんにとって、旅とはどのようなものですか?それは単なる移動の行為ですか、それとも人生における何か特別な意味を持っていますか?
Henning:
旅とは、好奇心を持ち、学び、驚嘆すること。 私は人生の最初の25年間、自由に旅をすることができなかったので、旅とは私にとって特権でもあります。 旅は、私にとって「変容」を意味します。 私は旅をすることで、自分自身が変化していくのを感じます——出発した時の自分と、目的地に到着した時の自分は決して同じではありません。 異なる風景や新しい街の中に身を置くことで、それまで自分でも知らなかった一面が引き出されることがあります。 旅の最中は、私の時間感覚も変化し、時が流れるのが速く感じられたり、逆に止まっているように思えたりします。 私は、できるだけ歩いて旅をするのが好きです。 そうすることで、自分のペースを徐々に整え、地に足をつけることができるからです。

インタビュー / 撮影後記:「アナログ」について
3月初旬、日本公演を終えてベルリンへ戻ったHenningさんに会うため、彼の “音楽室” へ向かった。後編のインタビュー記事を書くにあたり、フォトセッションを通じてHenningさんのことをさらに知りたいと思い、思い切って “音楽室” への訪問を提案したのだ。
Henningさんの “音楽室” があるご自宅は、Altbau(築年数のあるドイツの伝統的な建物)の3階にあった。呼び鈴を鳴らし建物に入ると、いつもの素敵な笑顔で迎え入れてくれた。Henningさんお気に入りのチョコレートと番茶でもてなしてくれた部屋には、『Orange』や『Schlafen』をレコーディングしたアップライトピアノが置かれ、DDR時代の年季の入ったマイクがセッティングされていた。別の部屋には、同じくDDR時代のマイクが備え付けられたグランドピアノが佇んでいる。私のフィルムカメラを見たHenningさんは、「私もアナログが生み出す“Kleiner Fehler”(小さなエラー)が好きなんだ」と話してくれた。
ピアノの前に自然と腰を下ろすと、美しい演奏が始まった。Henningさんが奏でる一音一音は、まるで羊水の中を泳ぐ胎児のように私を優しく包み込む。ピアノの音色とNikon FM3Aのシャッター音が響くフォトセッションは、私の人生において忘れられないワンシーンとなった。
Henning Schmiedt(ヘニング・シュミート)さん
1965年生まれ、旧東ドイツ出身のピアニスト、作曲家、編曲家。
早くからジャズ、クラシック、ワールドミュージックなどジャンルの壁を超えた活動を先駆的に展開。80年代中盤から90年代にかけて様々なジャズ・アンサンブルで活躍後、ギリシャにおける20世紀最大の作曲家と言われるMikis Theodorakis(ミキス・テオドラキス)から絶大な信頼を受け、長年にわたり音楽監督、編曲を務めている。また、世界的歌手であるJocelyn B. Smith(ジョセリン・スミス)やMaria Farantouri(マリア・ファラントゥーリ)らの編曲、ディレクターとして数々のアルバムやコンサートを手がけ、同アーティストの編曲でドイツ・ジャズ賞、ドイツ・ジャズ批評家賞を受賞、女優Katrin Sass(『グッパイ・レーニン』他)やボイス・パフォーマーLauren Newtonと共演した古典音楽のアレンジなど、そのプロデュース活動は多岐に渡っている。
ソロとしてもKurt Weilなど幾多の映画音楽やベルリン・シアターで上演されたカフカ『変身』の舞台音楽、2008年ベルリン放送局でドイツ終戦60周年を記念して放送された現代音楽『レクイエム』などを発表し、高い評価を獲得。名指揮者クルト・マズアーも一目置くという個性的なアレンジメントやピアノ・スタイルは、各方面から高い評価を受けている。
FLAUよりリリースされたソロ・ピアノ作品がいずれもロングセラーを記録中。ausとのプロジェクトHAU、Marie Séférianとのnous他、Christoph Berg、Tara Nome Doyleなどコラボレーション作品も多数。主な共演者にズルフ・リバネリ、チャールズ・ロイド、ミルバ、アル・ディ・メオラなど。
http://henning-schmiedt.de/
▼インタビュー前編はこちら
展覧会とコンサート、重要な共通点はどちらも「良い物語」を語ること ― ピアニスト・作曲家Henning Schmiedtさん / インタビュー前編
取材・文・撮影 =中島ゆう子