タイラー・ミッチェル展覧会『Wish This Was Real』― ユートピアの探求、そしてアフリカ系アメリカ人アーティストから受け継いだもの
寄稿者:中島ゆう子(写真家)
ドイツで初めてタイラー・ミッチェルの展覧会が写真美術館 C/O Berlin(ベルリン)で開催された。9月4日のグランドフィナーレを迎える前に同美術館へ足を運んだ。
タイラー・ミッチェルはスケーターであった10 代のときにアルバイトで貯めたお金で一眼レフカメラを購入し、スケーター仲間をモデルに写真を撮り始めた。独学で写真・映像を勉強し、ニューヨーク大学の進学を機に映像を専攻する。その後、若干23歳でヴォーグの表紙を飾ったビヨンセの写真を撮影し、アメリカン・ヴォーグの表紙を撮影した初のアフリカ系アメリカ人、さらに史上最年少のフォトグラファーの一人となった。日本でも高い人気を誇るタイラー・ミッチェルのドイツの初個展がどのような内容だったか、ここでご紹介したい。
歴史を背景にした楽園の追求―余暇とは、コミュニティとは。
今回の展覧会は、「Lives/Liberties (生活 / 自由)」、「Postcolonial/Pastoral(ポスト・コロニアル / パストラル)」、「Family/Fraternity (家族 / 友愛)」と彼の作品を3つの大きなテーマに分類し、構成されていた。そのなかで私の心を一番惹きつけたのは、「Postcolonial/Pastoral 」がテーマの展示空間だった。
「Postcolonial/Pastoral 」スペースに展示されている彼の作品は、一見、平和で幸せな日常や美しい瞬間が切り取られているように見えるが、それらの裏に潜む、「奴隷」という負の歴史、今なお続く「人種差別」といった暴力的な現実が却って強く私の胸に突き刺さった。しかし、さらに作品を注意深く鑑賞すると、これらの「現実」は、写真という劇場で上映されている「ファンタジー」上ではあくまで舞台裏で起こっていることで、彼らの「ユートピア」、「憩いの場」、「夢」という世界が写真で再構築・表現されているように感じた。ミッチェルはこの作品で美しく軽やかに観覧者へメッセージを送っていたのだろう ― 「ユートピア」は白人貴族・白人社会のものだけではない、と。もちろん、それは「ユートピア」だけじゃない。これまで一部の人たちに独占されてきたもの全てに対して言えることなのだ。
同空間に展示されていた映像作品。
「Postcolonial/Pastoral」の展示空間。手前に展示されている作品は植田正治の「パパとママとコドモたち」を連想させた。
New Horizons Ⅱ, 2022 © Tyler Mitchell. Courtesy of the artist
ルネ・マグリットを彷彿とさせる作品。
偉大なアフリカ系アメリカ人写真家やアーティストからの系譜
「Postcolonial/Pastoral 」スペースにはミッチェルの作品以外に、彼が影響を受けた数多くの作品が紹介されていた。写真家のイーリー・ハドナル・ジュニア(Earlie Hudnall Jr.) 、ポストブラックアートを制作するアーティストのラシッド・ジョンソン(Rashid Johnson)の作品など写真や彫刻、インスタレーション作品が末広がりに建てられた壁面に展示されていた。
今回の展覧会に併せてC/O Berlinが公開したインタビュー映像で、自身の作品についてミッチェルはこのように語っている。
私にとって、アーティストとしての仕事の全体的なアイデアは、アフリカ系アメリカ人アーティストの作品を見ることから始まりました。ゴードン・パークス(Gordon Parks)、キャリー・メイ・ウィームス(Carrie Mae Weems)やロイ・デカラヴァ(Roy DeCarava)などのアフリカ系アメリカ人の写真家は、自分たちのために正しいイメージを作る必要がある、と分かっていた人たちです。私たちアフリカ系アメリカ人の見られ方は、おそらく支配的なストーリーやメディアによって印象操作をされてきました。ゴードン・パークスたちはそのようなアフリカ系アメリカ人に対する印象、固定概念を覆し、自分たちの世界を作り出すために制作活動をしてきました。私の作品もその系譜を受け継いでいるのです。(CO Berlin Asks . Tyler Mitchell . Wish This Was Realより寄稿者による翻訳)
このインタビューを見た時、「だからゴードン・パークスの作品が頭に浮かんだのか」と、点と点がピンと一直線に結ばれた。「ふたりがアフリカ系アメリカ人の写真家で、自分たちと同じルーツの人たちを撮影しているから」、それだけではない。彼らの写真から力強さを感じた。力強い写真には美しさがある、と私は思う。では、力強い写真とはなんだろう?師匠の作品を思い出す ― 「注文のおおい写真館」や「江ノ島」― 被写体が人物でも物でも、被写体のバックグラウンドや時間が写真から感じ取れ、さらにある種の“瞬間”を捉えたものが力強い写真に成りうるのではないだろうか。ゴードン・パークスのドキュメンタリー映画『写真家ゴードン・パークスの遺産 / Choice of weapons』が私の頭の中でもう一度上映され、目の前のミッチェルの作品と、脳内にスパークしたゴードン・パークスの作品が共鳴した。この展覧会を通して、オリジナルプリントを鑑賞すること、脈絡を考えること、展覧会へ足を運ぶことの大切さ、そして展覧会でしか得られない楽しさ、面白さを改めて強く感じ、刺激的な「写真を読む」時間となった。
展覧会に話を戻すと、印象的だったのがゴードン・パークスの作品「Outside Looking in」とポール・ストランド(Paul Strand)の作品「The white fence」が同じ壁面に、そして双方が隣り合わせて展示されていたことだ。大学の講義で何度も見た「The white fence」、このオリジナルプリントを観覧したのは初めてだった。その作品は、想像以上に“真っ白”なフェンスが不気味に写真の前面に立ちはだかっていた ― それはまるで所有権、権力、財産の境界線のようだ。その隣に展示されているゴードン・パークスの「Outside Looking in」は、公園を囲うフェンス、フェンス越しに公園の遊具を眺めるアフリカ系アメリカ人の子どもたちの背中が写っている。 私はこの2つの作品を目にしたとき、前章で触れた「憩いの場」に立ち入ることができなかった時代、かつて白人貴族・白人社会が所有し、ミッチェルが写真上で表現した「ユートピア」を感じずにはいられなかった。
ミッチェルが影響を受けた作品が展示されている壁面。ラシッド・ジョンソンの巨大な鏡の作品が今も続く黒人差別、Black lives matter運動を連想させる。
ゴードン・パークスとポール・ストランド、イーリー・ハドナル・ジュニアの作品。
Picnic, 2021 © Tyler Mitchell. Courtesy of the artist
「Postcolonial/Pastoral」に展示されていた作品。
布、鏡、印画紙以外のマテリアルで表現された「写真」
上記のゴードン・パークスの作品などが展示されている壁面と向かい合うように、ミッチェルの布や鏡を支持体にした「写真」が展示されていた。シルクのような滑らかな布にプリントされた作品には、屋外に干してあるシーツのような布と人物が写っていた。16世紀から19世紀にかけて存在した黒人奴隷制、その象徴とも言える綿花(コットン)。支持体と被写体の物質的なつながりをこの作品から強く感じた。
2点の布の作品に囲まれるように鏡の作品が配置されていたが、この作品はちょうどラシッド・ジョンソンの作品の目の前に展示された。ラシッド・ジョンソンの巨大な鏡の作品はステンドグラスのようにも見えるが、よく見ると暴力的に割られたヒビのような傷が削って描かれ、さらに血痕のような赤黒いペイントが乱暴に塗布されている。一方で、ミッチェルの鏡の写真には、裸で池の中を泳ぐ男性が写されていた。両者の作品が、展示空間内で反射し合う。思わず目を背けたくなる光景は、Black lives matter 運動のきっかけとなったジョージ・フロイド事件を思い出さないわけにはいかなかった。
ミッチェルのこの3点の作品は見た目の目新しさだけでなく、自分たちの歴史、さらに今現在も続く現実がしなやかに表現されていた。この展示空間は「ユートピア」、そして「負の歴史」や「暴力」が共存し、それはまるで私たちの世界そのものを写し出されているようにさえ感じた。美しいポートレートや日常が切り取られた写真だけの展示ではない、会場で感じたあの感覚は数日経っても忘れられない、素晴らしい展覧会だった。
布を支持体とした作品と鏡を支持体とした作品。
Untitled(Blue Laundry), 2019 © Tyler Mitchell. Courtesy of the artist
「Lives/Liberties」スペースに展示されていた作品。光、影、ブルーのグラデーションが美しい。
Family Tree, 2021 © Tyler Mitchell. Courtesy of the artist
「Family/Fraternity」スペースに展示されていた作品。ルーツ、家族という小さいコミュニティを考えさせられた。
今回の展覧会では2021年から2023年に撮影された作品が多く展示されていた。残念ながら本展覧会用に図録は制作されていなかったが、2020年アメリカでの初個展の際に制作された図録の内容も展覧会と同じくらい素晴らしかったので、今回買い付けさせていただいた(※今秋入荷予定)。図録でミッチェルの世界を堪能していただけたら嬉しく思う。
At Sea Day では、こちらの図録をご購入いただいたお客様に、C/O Berlinが発行している “Zeitung”(新聞)を特典としてプレゼントさせていただきます。 およそ19ページにわたりミッチェルの解説やインタビュー(英語・ドイツ語)、作品が掲載されています。
▼coming in autumn / 今秋入荷予定の図録
【特典付き】『I CAN MAKE YOU FEEL GOOD / TYLER MITCHELL(タイラーミッチェル)』
※入荷まで今しばらくお待ちください。
タイラー・ミッチェル展覧会『Wish This Was Real』開催概要
会期:2024年6月1日(土)〜9月4日(水)
時間:11時〜20時
会場:C/O Berlin
Hardenbergstraße 22–24 . 10623 Berlin
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