旅と猫|しっぽの先を追いかけて

猫というのは、つくづく不思議な存在だ。日常の歩き慣れた道であっても、遠く離れた異国の街角であっても、猫の姿を見かけると、ついそのしっぽを追いかけたくなってしまう。猫はどこにいてもそこが世界の中心であるかのようにふるまっているし、そんな猫たちが持っている、あの独特な間の取り方、世界との距離間に、どうしようもなく惹きつけられる。

写真を撮る者であれば尚のことだろう。ファインダー越しに世界を覗き込む人間は、往々にして猫という被写体に魅了され、その姿をフィルムに焼き付けてきた。私が長年大切に読んでいるアンリ・カルティエ=ブレッソンのエッセイ『こころの眼』には、写真家がどのように世界を観察し、その本質を切り取るかが綴られているが、写真家たちが追い求める「決定的瞬間」において、猫はしばしば重要な役割を果たす。例えば、ジャック=アンリ・ラルティーグが捉えた、身軽に宙を舞う愛猫ジジの姿。あるいはロベール・ドアノーがパリの路地裏で撮影した、人々の暮らしに寄り添うような猫たちの佇まい。彼らの写真を見ていると、カメラを持つ者がなぜこれほどまでに猫に惹きつけられるのか、その理由が少しだけわかるような気がする。もちろん、カメラを持っていなくとも猫が人々を魅了することに変わりはないのだけれど。

なぜ、私たちはこれほどまでに猫に惹かれてしまうのだろうか。愛らしい毛並みやしなやかな四肢、あるいは気まぐれな瞳。そうした姿形に魅了されているのは言うまでもないが、それ以上に、猫の「生き方」そのものに憧れを抱いているのかもしれない。猫はいつだって、社会のルールや他人の視線とは無縁の場所で生きている(猫界のルールはあるかもしれないが)。誰に媚びることもなく、日向を探し、風の匂いを嗅ぎ、眠くなればどこででも丸くなる。それに比べ、大人のルールをたくさん身にまとって生きる私たちにとって、自由を保つ猫の佇まいは、時に胸の奥を微かに疼かせる。それは、私たちが日常の中でどこかに置き忘れてしまう「ただ、そこに在る」という純粋な生き方を見せられているからだろう。

もっとも、小難しい理屈は抜きにして、歩くだけで優美な背中の曲線や肉球の気配に、ただ無条件の安らぎを覚えているだけなのかもしれない。ただ一つ確かなのは、そんな猫たちとの出会いが「旅先」という舞台に変わるとき、それは間違いなく、特別な時間になるということだ。



「アドリア海の真珠」と称される、クロアチア・ドブロブニク。中世の面影を残す旧市街は、見上げるほどの白い城壁に囲まれ、古い石壁の隙間を海風が吹き抜ける。地図を持たずふらふら歩いていると、ふと一軒の店が目に留まった。深く気品のある青緑色の扉。そのすぐ脇、石造りの窓枠の細い縁に、一匹の三毛猫が置物のように腰を下ろしていた。背後のガラス窓にはうっすらとジュエリーブランドの文字が浮かび、ディスプレイの白いネックレスが上品に輝いている。けれど、どんな宝石よりも、光を集めてきらめく猫の毛並みのほうが、私には遥かに贅沢なものに見えた。

近付いても逃げようとはしない。ただ、細く開けた瞳でじっとこちらを見つめ、それから少し退屈そうに視線を戻した。首につけた小さな首輪が、白い石壁によく映えている。その姿は、この古い街の歴史を見届けてきた小さな哲学者のようだった。言葉がわからなくても問題はない。猫との間には初めから約束事などないのだから。私はそっとカメラを構え、扉と猫をファインダーの中に収めた。猫は耳をぴくりと動かした。

目配せに引き寄せられるようにして、路地裏へと入っていく。ドブロブニクの路地は階段が多く、どこへ続くのか見当もつかない。先を歩く猫が時折ふり返り、私がついてきているのを確かめるようにして立ち止まる。まるで「迷子になりたいならこっちへおいで」と案内してくれているかのようだった。洗濯物がはためく少し生活の匂いがするなかを、猫のしっぽを追いかけて登っていく。

そうしてこちらがを追いかけることもあれば、反対に、猫のほうが後ろをついてくることもある。

例えば、見知らぬ小さな教会前の広場にいると、どこからともなく現れた猫がしばらく私の後ろをついてきたことがあった。私が歩みをゆるめれば猫も速度を落とし、私が立ち止まれば少し離れた日陰で毛繕いを始める。適当な距離を保ちながらも、確かに私という存在を意識している気配がある。それは、旅先で味わう最も心地よい時間と言ってもいい。

プライベートの旅ではスケジュールを細かく決めないようにしているが、それは、いつでも猫の歩みについていけるようにするためでもある。効率よく名所を巡る旅も悪くはないけれど、私の旅においては、のんびりと過ごす寄り道のなかにこそ自分の求めているものがあるような気がする。

あのお店の扉の前にいた猫は、今頃どうしているだろう。今日もまたアドリア海の強い陽射しに目を細めながら、道行く人々を見ているのだろうか。旅を終え、毎日の生活のなかに戻ってきても、ふとした瞬間にあの白い石壁と青緑色の扉のコントラストが蘇る。そして、あの三毛猫の長いしっぽが、私の心の隅っこを今も静かに揺らしている。


写真・文=帆志麻彩


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