目に映る景色が人生をつくるなら。第5話「同じ道を、何度でも」

目に映る景色が人生をつくるのなら、自分に何を見せてあげたいだろう。
At Sea Day 店主が綴る、のんびりマイペースな旅エッセイ。
第5話は、親戚が暮らすアムステルダムの家の近所をお散歩した日のお話です。
その日の午前中は、ひとりきりの時間だった。カメラを肩にかけ、澄んだ朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、近所の住宅地や湖、川のまわりをぶらぶらと気ままに歩く。建物や街路樹の影がやわらかく落ちていて、この時間帯の光は世界を優しく包みこんでいるみたいでとても好きだ。
ある通りに差し掛かったとき、光のまわり方がなんとも美しくて、思わずシャッターを切った。なんてことのない景色が自分だけの特別な一枚になっていく瞬間は、写真を始めた頃のような高揚感がある。あ、私まだこういう気持ち持っていたんだな、とどこかほっとしたりして。
午後は、叔母と従兄弟と合流し、再び近所のお散歩に出かけることになった。穏やかなおしゃべりをしながらのんびりと歩いていると、午前中に写真を撮ったあの道が見えてきた。
「さっき通ったところだ」
そう思いながら何気なく目をやると、あんなに光に包まれていた道は、すっかり影の中に隠れていた。太陽の位置が変わったのだから当然と言えば当然のことだけれど、同じ道を歩いているのにまるで別の場所のようで、少し不思議な気持ちになる。
―ああ、だから彼はあの窓辺にこだわり続けたのだろうか。
ふと、オランダが誇る画家、ヨハネス・フェルメールのことが頭をよぎる。彼はアトリエの北側にある同じ窓から差し込む光を愛して、ほぼ同じ配置の部屋で日常の一瞬を繰り返し描き続けたそうだ。フェルメールは、同じ場所に留まり続けることでしか出逢えない光のドラマを知っていたのだろう。
午前中の眩い光を見ているだけに、一瞬物足りなさを感じそうになったけれど、影に包まれた通りはどこか落ち着いた静けさがあって、それはそれでなかなか味わい深い。フェルメールが愛した光のドラマって、案外こういうことなのかな、なんて思う。
観光目的で旅をするとき、私たちはどうしたって「まだ行ったことのない場所」を目指したくなる。限られた滞在時間をいかに効率よく使うか。一度通ったルートを引き返すのはどこか時間を損しているような、もったいない気持ちになってしまったり。けれど、一筆書きで巡るだけの旅だったら、午前か午後、どちらか一方の光しか知らずに帰っていたのだろうなと思う。もちろん、それでも全然いいのだけれど。大事なのは、どちらかにこだわりすぎないことだ。
光と影の位置が変わるみたいに、私たちの日常もまた、一瞬一瞬で表情を変えている。 同じことの繰り返しに見える毎日でも、昨日と今日では光の当たり方が違うし、吹き抜ける風の温度だって、きっと違う。午前中には見えなかったものが午後にふと姿を現したり、影の中に身を置くからこそ気付ける静けさもあったりする。
新しい場所を見ることだけが旅の醍醐味ではない。あえて同じ道を歩き、ぼんやり留まり、その移ろいを感じる。そんな小さなゆとりを持つだけで、知っている景色でも、見慣れた景色でも、愛おしいものに変わっていくのだと思う。
光を追いかけ、影を愛おしみながら。
写真・文=帆志麻彩
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