日々と旅のあわい −「塩ひとつまみの旅」
二拠点生活中のリトルプレス編集人による
旅の醍醐味のキーワードにまつわるエッセイ。
本や映画なども参考にしながら、日々と旅の間(あわい)に触れていたい。
寄稿者:長尾契子
「塩」は、調味料としてだけでなく、日本語の表現としていろいろな場面で使われます。
「すてき」と言うより「いい塩梅(あんばい)」という言葉が相手の口からポッと出たりすると耳に残るし、「手塩にかける」というのも丹精込めて取り組むさまが手にとるように分かります。「敵に塩を送る」ということわざを知ったのは小学生の時。キッチンの隅に置いてあった、伯方の塩を詰めた曇ったガラスの塩入れを思い浮かべては、敵に塩を送って何になるのだ、相手のお台所が少し潤ってしまうじゃないかと首をかしげたものです。
塩を使った表現は今の人たちにも使い勝手が良いようです。先日、岡山駅構内のカフェで注文を待つ列に紛れていた時のこと。目の前に並ぶ女子高生二人のうちの一人が差し出された携帯の画面をのぞきながら声を張り上げました。
「ワタナベ? あいつソースでしょ。マユコ、塩顔タイプだったんじゃないの?」
「そうじゃけど……」
マユコさんの新しいお相手らしきワタナベ君の福笑いを脳内であれこれ検索しながら、 最近の女子たちは目鼻立ちの薄さ濃さの度合いを味付けになぞらえていることを知りました。
塩にまつわる旅はしばらく続きます。後日、県の南部、児島にある屋敷を見に行ったのですが、偶然にもそこは江戸時代に塩田事業で財を成した大邸宅でした。塩田と聞いて真っ先に思ったのは亡き祖父のことです。 古くから製塩業で有名だった岡山県ですが、祖父も、当時そんな塩田事業がさかんだった瀬戸内市の海沿いの村、牛窓に生まれ育ちました。町の背広縫いで生計をたてていた父親が 35 歳という若さで亡くなった時、祖父は小学3年生でした。
2、3年が経ち、小学校高学年となって体格もある程度しっかりしてきた頃、村落にある塩田に働きに出かけて家計を支えていたという戦前のエピソードも生前祖父の口から語られたことはありませんでした。塩ひとつで自らの心と身体を鍛えあげ、黒々と節ばったがっしりした両手で、どんな力仕事もキレ良く、ていねいにこなす寡黙な人だった祖父を思い出す午後でした。
古くから人の暮らしを底支えする塩という存在が日本人の体験の中で熟成されている奥行きの深さに目が開かれたのは、最近のあの夜がきっかけでした。
背景に低くなだらかな小山を背負い込んでぽつんと佇む最寄りの無人駅。ホーム対岸の茂みに自生する一本のザクロも赤く太った実をつけはじめた 9月下旬のことです。私はここからディーゼル車に乗って出かけ、3駅向こうの岡山駅周辺の市街地を歩いていました。平日、これといった用がないのに夕方から市内に出ることはないのですが、この日は仕事を早めに切り上げられたのです。
馴染みの店にやってきました。ウィンザーチェアなどの民藝家具が常設されている民藝店。フォルムの良い椅子を眺めることは、深呼吸で得られるもの以上のふしぎな効能があります。
椅子眺めの養生法が早速効いたのか、店を出た途端お腹が鳴り始めました。この日は食欲がなく、ほぼ何も口にしていなかったので、シンプルな定食が欲しくなりました。あてのない夜散歩は自然と食堂探しになります。
そういえば「食堂」と名のつく店が図書館の裏にあった気がする。店内がカウンターだけの、さっぱりと設えられた空間だった。以前行った時は昼間で、親類と少し寄っただけだった。軽くではあったけれど、美味しかった――。ぼんやりした記憶をたぐり寄せ、 岡山城周辺をあたってみます。
今日は火曜日。城下の一帯は観光地になっていて、居酒屋以外の食堂やカフェは、大体平日 17〜18時に店仕舞いするところがほとんど。目的地探しは近寄るほど「ここまで来たんだから」と躍起になるもので、ダメモトと分かりながらも早歩き。そうだ、ここの角を曲がったところだ。明かりはついているかいないか。さあ、どうだ。曲がった瞬間、その店だけ、ポッと灯(ひ)が――。ビンゴが揃った時のような清々しさで、店内のカウンターに滑り込みました。
晩御飯の定食は、シェフ(定食を出すお店なのですが、どうしてだかシェフと呼びたくなります)が熱々のものから順々にサーブしてくれました。平たい石をそのまま器にしたような黒い和モダンな皿がメイン。4種ほどの主菜が整然と、それでいて遊び心ある感じで、ところどころ焼き野菜などの彩色をアクセントに盛り付けられています。
奥には刺身数切れと食べやすいよう串どめされた車麩のフライ。手前にはガラエビの唐揚げ少々とアジの竜田揚げ。こちらには大根おろしとえのきを炊いて苦味を落とした和風ソースが添えられていて、ほどよく水分を含んだフワフワ感がザクッとした歯応えととても合います。当然、味噌汁、ご飯もすすみます。
時折、三連のくぼみがついた角皿で供された野菜の副菜類をつまみ、温かい茶をすすり、 また次の主菜を味わい――。1時間半かけて完食したことにいちばんおどろいたのは自分でした。あまり食べられない体質であるため、この日ほどの心安らかな満腹感を得たのはいつ以来だったか、思い出せないほどでした。 丸ごと揚げたこの小ぶりのガラエビを箸で掴んで、付け合わせの塩にちょこっとつけて口にした私が思わず目を丸くして背筋をピンと反らせてしまった時は、椅子も軋んでしまったほどでした。
ポタージュを持ってきてくれたシェフに思わず訊ねてみました。
「この塩はなんでしょうか」
「塩湖の塩ですよ」
「ウユニですか、ボリビアの」
「ううん、チベットのほうです」
そう言うとシェフは作業の手を止め、キッチンの端から半身を出し、丁寧に解説してくれました。
「この塩は、ヒマラヤ山脈の隆起でできた盆地の塩湖のものです。チベットの高原はかつての海底が隆起してできたものでしてね――そこから採れたんですよ。そんな遠いところからね」
3000m 級の山々に囲まれた環境汚染の影響も受けない盆地。そこで生まれ、7ヶ月間 天日干しされたこの塩は、その名も「チベットの華雪」。粒は大きいのに、一粒一粒の結晶に透明感があり、まとまると空気を含んだようにサラサラと落ちるところも粉雪そっくりです。
「塩は大事です。塩、味噌、醤油は、なるべくいいものを使うに限ります」 そう言って、シェフがカウンターからするりとキッチンに戻っていったあと、今度は華雪だけをひとつまみ口に入れ、舌先で雪解けを待ちました。脳裏には見たこともない高地の風景が浮かび、そこから「地の塩」について書かれた新約聖書の箇所を思い出したり、ガンジーが塩を持って行進する姿も登場してきて――。
そこで購入した 400g の華雪の包みを小脇にかかえて帰り支度を済ませた私を、シェフは入り口まで見送ってくれました。ドアを開けて歩き出そうとした時、ふと目に入った店名を見て深く納得したのは言うまでもありません。
「SALT―石川食堂」写真4枚目:SALT - 石川食堂「もぐもぐ弁当(さかな)」
【心と体で楽しむ料理とお酒 SALT-石川食堂】 https://salt-
Profile
長尾契子 / グラフィックデザイナー、リトルプレス『1/f』編集人
1993年、東京都生まれ。紙媒体のデザインアトリエ・
▼著者の関連商品
リトルプレス『1/f(エフブンノイチ)』vol.7 手のひらサイズの旅。
リトルプレス『1/f(エフブンノイチ)』vol.9 息をしている。