「円環」という時の中で生きる先住民の教え


すべてのものが円を描いています
私たちは自分自身の行いに、それぞれ責任をもっています
それが円を描いて戻ってくるからです

- ベティー・レイヴァデュー(オブジワ族)

[引用:『それでもあなたの道を行け NATIVE WISDOM インディアンが語るナチュラルウィズダム』P126]

先住民の声に心を向けてみると、彼らは「円環」という時の中で生きていることがわかる。「死」への恐れというものを全く感じさせない死生観もここからきているようだ。春になれば、新しい芽をつけ花の香りを漂わせる。夏は太陽が緑を輝かせ、秋になれば美しい紅葉に心を落ち着かせる。冬は静かに自然が眠りはじめ、溶け出す氷がまた春の訪れを口ずさむ。そうして、大きな円環を描いて季節が巡り続けるように、先住民にとっての「死」とは、次の世への始まりなのだ。「死」を季節が巡るように美しいことだと尊ぶ彼らにとって、それは宇宙のプロセスのひとつに過ぎない。

過去を学び、過去にしたがって行動することが大切です
そうすれば、私たちはこれからもずっと
大地に住み続けることができるからです

- イグネイシャ・ブローカー(オブジワ族)

[引用:『それでもあなたの道を行け NATIVE WISDOM インディアンが語るナチュラルウィズダム』P70]

動物や植物、大地はすべて家族であり、生命の源である。これは、あるひとつの部族に限らず、どの部族にも広く共通している思考だ。遠い祖先たちを観察し、自然がなければ生きていけないことや、季節を変化させることのできる者などいないことを学んでいたのだろう。物事の原点を知り、考え、自分に問い、過去から学び、行動することの重要性を、彼らはよく理解していたように思う。それらがまた、自分の内なる声、秘められた力に辿り着くための道標になることも。こうした先住民の言葉や生き方には、現代人が日々の暮らしの中でつい忘れてしまいがちな大切な知恵が隠されているのだ。


自然法のひとつに、人間はあらゆるものを汚すことなく、清く保たなければならないというのがある。なかでも水を清く保たなければいけないんだ。水の清さを保つことは、生命の法のなかでも最も重要な法のひとつだ。水を汚すことは、生命を破壊することなんだ。これが私の言う常識というものだ。

自然の法のもとでは生命はすべて平等だ。これはわれわれインディアンの哲学でもある。人間は生命を尊ばなければならない。自分の生命だけを尊んでいてもダメだ。自然の法を犯すことなく生きていくためのカギは「尊ぶ」ことだよ。


人間は時として自分たちが地球の支配者にのし上がったのだと考える。だが、それは間違いだ。人間は全体の一部でしかない。人間の役目は、自然を開発し、利用することではない。人間の役割は、自然に仕え、自然が犯されないよう見守ることだ。人間にあるのは力ではなく、責任なんだよ。

- オレン・ライオンズ(イロコイ族)

[引用:『ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと』P66]




写真=中村風詩人
取材・文=帆志麻彩



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