尊厳と美を見出しながら描いた作品。「農民画家」を目指したゴッホの想い

日本でも人気の高いオランダの画家、フィンセント・ファン・ゴッホ。"ゴッホ" の名を聞いて多くの人が最初に思い浮かべる作品は、言わずと知れたあの《ひまわり》だろう。あるいは、「好きな作品は?」と聞かれたら、《星月夜》や《夜のカフェテラス》《花咲くアーモンドの木》などをあげる人も多いかもしれない。

実は、ゴッホは農民の姿も多く描いていたことをご存知だろうか。それらは彼がオランダで過ごしていた時代、つまり "画家人生初期の頃" に制作された。今回は、「ゴッホがなぜ農民の姿を描いたのか」、その想いを改めて辿るため、オランダのアムステルダムにある ファン・ゴッホ美術館 を訪れた。


フィンセント・ファン・ゴッホが画家になるまで

1853年3月30日、ゴッホはオランダ南部のズンデルトという村で牧師の息子として生まれた。小学生時代から時折絵を描いていたものの、当時はまだ特別な才能を感じられるほどではなかったそう。13歳のとき、一度は中学校に進学し語学で優秀な成績を収めたゴッホだったが、2年生の途中で中退した。

その後、叔父の紹介で国際的な美術商グーピル商会に就職。その後、美術商から学校の教員、さらには
平信徒説教者(キリスト教において聖職者ではない一般の信徒が聖書を解釈し、メッセージとして語る人など様々な仕事を試したが、人生の方向性を見出すことができなかった。

現在開催中の『ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢』でゴッホの手紙が初来日していることが注目されているが、ゴッホと弟テオとの間で生涯にわたる文通が始まったのは、1872年9月のことだった。彼はテオに送る手紙にしばしばスケッチを添え、時には絵を同封することもあったという。そして1880年、ゴッホが27歳のとき、テオの助言によって画家の道へと進むことを決意したのであった。

農民画家を目指したオランダ時代

こうして1881年4月、ゴッホはブラバント州エッテンにあった実家へと戻る。貧しい農民が生活する田舎町にはデッサンの題材が多くあった。その頃のゴッホは、描き方も絵の具の塗り方もすべて独学で学び、彼いわく「本物の農民画家」であるフランス人画家ジャン=フランソワ・ミレーの作品を手本にしていたという。

その後、両親との生活が窮屈で度々癇癪を起こしていたゴッホは実家を追われてしまう。しかし、従姉妹と婚姻関係にあった画家のアントン・モーヴを訪ね、絵画の手ほどきを受けられることになった。ゴッホはモーヴが暮らしていたハーグに自身の新しい家を見つけ、毎日のようにモーヴのアトリエに通うほど熱心に絵を学んでいた。こうして彼の足跡を辿っていくと、ゴッホの行動力、勢いには良くも悪くも驚かされてしまう。

1883年後半、ゴッホは父ドルスの提案もあり、当時両親が暮らしていたヌエネンに拠点を移した。多くの農民、農村労働者、織工が暮らしていたヌエネンは「農民画家」を目指すゴッホにとって理想的な環境だった。


《ジャガイモを食べる人々》の制作

1885年3月、ゴッホが32歳のときに父ドルスが亡くなった。その直後、ゴッホは実家を出てアトリエに入り、ジャガイモを食べる人々》の制作に取り掛かった。この作品に着手する前、彼は農民の肖像画を100点以上制作していたが、《ジャガイモを食べる人々》は、ゴッホのオランダ時代における最も野心的な作品と言える。彼の意図は、単にこれらの人々の精密な肖像画を描くことではなく、過酷な農民生活の雰囲気と原始的な性質を描写することだった。

今回、改めてこの作品を前にしたとき、やはりその「暗さ」が印象的だった。弟テオの多大な協力がありながらもゴッホの絵が売れなかった理由のひとつに、この「暗さ」がある。しかしゴッホは、"深く暗い色は地面の色と繋がりがある" と言った。

ジャガイモを食べる人々》の前に立ち、その場でじっと作品を見ていると、段々と暗い光に目が慣れてくることに気付く。そして、人々の細部が浮かび上がって見えてくる。簡素な家、わずかな光が照らす一皿のジャガイモ。とても静かな場面。人々の顔や手から伝わる物語―――。

ゴッホは手紙のなかでこうも話している。

「お分かりのように、私は本当に描きたかったのです。小さなランプの灯りでジャガイモを食べている人々が自分の手で地面を耕して皿に盛ったのだということを、人々に知ってもらえるからです。この作品は手作業について、そして彼らが正直に働いて自分たちの食べ物を得たことを語っています。理由を知らずに単にこの作品を鑑賞したり、好意的に見てほしくはありません」(ファン・ゴッホ美術館 - 解説より)

画商であるテオは、兄の絵を売るためにもっと明るく描くよう何度も伝えていたが、ゴッホがそれを譲ることはなかった。後に妹へ宛てた手紙でも、「自分の作品について思うことは、ヌエネンで描いたジャガイモを食べる農民の絵は、結局のところ私がやった最高の作品だということだ」と語っているが、それほどゴッホはこの作品に自信と誇りを持っていたのだ。


ゴッホが
農民のなかに見ていた "尊厳と美

ゴッホが描く多くの作品には、人間や自然に対する敬愛が表現されている。では、ゴッホにとっての "美しさ" とはなにか。
私にとっては、農民の娘は淑女よりも美しい。彼女が身に付ける埃っぽくて継ぎ接ぎのあるスカートや上着には、天候や風、太陽の風合いと言った最も繊細なニュアンスがある」(ファン・ゴッホ美術館 - 解説より)
彼が見ていた "美しさ" とは、裕福さや煌びやかな装いなどといった表層的なものではない。大地に根ざして生きる農民たちの顔に、手に、それらの表情に、自然の持つ包容力に、この世界の純粋な部分を、自らが崇拝していた神の存在を見ていたのだ。このゴッホの思想は、のちに描かれる彼の代表作《ひまわり》やその他の作品にも通じている。そして、これこそが私の思うゴッホの魅力であり、ゴッホに惹かれてしまう理由だ。


写真・文=帆志麻彩

〈Vincent van Gogh, 1853-1890〉
オランダの牧師の家に生まれる。27歳で画家になる決意を固め、亡くなるまでの10年間に、素描も含め、2000点以上の作品を手がける。農民の生活を主題にした初期の作品から、印象派や新印象派の影響を受けたパリ時代の作品を経て、大胆な筆致と強烈な色彩という独自のスタイルを確立するに至る。ゴーギャン、セザンヌとならぶポスト印象派を代表する画家に位置づけられ、表現主義やフォーヴィスムなど、20世紀の芸術に大きな影響をあたえた。

◇ ファン・ゴッホ美術館|Van Gogh Museum
住所:Museumplein 6 1071 DJ Amsterdam The Nederlands
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https://www.vangoghmuseum.nl/en

時間:開館時間は月によって異なります。公式HP をご確認ください。
休館日:無し
予約:来館にはオンラインでの事前予約が必要になります。予約はこちら