世界遺産・小笠原の大自然に触れながら、旅のあり方について考える
東京・竹芝桟橋から24時間。定期船のおがさわら丸が、世界でも指折りの深海である伊豆・小笠原海溝を越えていく。携帯電話の電波がぷつりと途絶え、ただ波の音だけが響く長い航路の果てに、その島々は姿を現した。一度も大陸と陸続きになったことのない海洋島であり、独自の生態系を育んできた世界遺産の島、小笠原諸島。
私が初めて小笠原を訪れたのは、ちょうど10年ほど前のこと。目的は旅行ガイドブックの制作だった。長い航海の末におがさわら丸が接岸したのは、小笠原諸島で最も大きな島、父島の二見港。最大の島とはいえ、父島の人口はわずか2000人ほど。南に下った隣の母島にいたっては、450人ほどが暮らすのみである。島内には亜熱帯の原生林が広がり、本州とは全く異なる独自の時間が流れていた。
右も左もわからず、ただ圧倒的な大自然を前に立ち尽くす私を導いてくれたのは、小笠原に幾度となく通い、その底知れぬ魅力に深く心を寄せていた旅の先輩だった。丁寧な案内に導かれ、私は視線を重ねるようにして、ひとつ、またひとつと、小笠原の歴史や自然に触れていった。それらはどれも、都心から1000km離れたこの絶海でしか成立し得ない、固有の奇跡。遮るもののないボニンブルーの海と、見たこともない植物たちに圧倒されながら、私は夢中でメモ帳に言葉を集めた。そこから何度も仕事で訪れる機会に恵まれたが、その度に、この島は私の旅人としての姿勢を静かに正してくれているような気がする。
日本には、畏敬の念を抱かせる素晴らしい世界遺産が数多く存在する。太古の記憶をその身に宿す屋久島の原生林、神仏習合の歴史を伝える紀伊山地や、生命の循環を目の当たりにする知床。それぞれが人類の、そして日本の宝であるが、小笠原の特異さは「絶海性」と、それに伴う時間の濃度にある。
4800万年前の火山活動から始まったこの島々は、一度も大陸と繋がったことがない。風に吹かれ、あるいは鳥の体や流木に捕まって、偶然ここに流れ着いたわずかな生きものたち。彼らは何万年、何百万年という果てしない時間のなかで、島独自の環境に適応していった。樹上や地上など、それぞれの住み場所に合わせて形を変えたカタマイマイの仲間。そして、首筋に美しい緑の光沢がある固有のハト、アカガシラカラスバト(島の愛称:あかぽっぽ)。そうした、ここにしかいない固有種たちの小さな命の営み、進化の歴史こそが、世界自然遺産として認められた所以なのだ。
しかし、小笠原が語る複雑な物語は、自然の営みだけにとどまらない。19世紀初頭、この島はまだ「無人島(ぶにんしま)」と呼ばれていた。そこに最初の定住者として足跡を刻んだのは、欧米系やハワイから渡ってきた人々だった。その後、日本領への編入、第二次世界大戦という時代の荒波と惨禍、 そして米軍統治。1968年にようやく日本へ返還されるまで、この島が辿った軌跡はあまりにも激動に満ちている。
私は取材を通して、長年通う先輩や、そこで生活する人々から少しずつ話を聞かせてもらったが、どれだけ島を歩き、歴史を知り、人々の言葉に耳を傾けても、「この島を理解した」とは言えない底知れぬ深さが、そこには常に横たわっているような感覚だった。私が理解したつもりになったとしたら、それはこの島が積み重ねてきた時間の、ほんの表層の一膜に過ぎない。その途方もない奥行きを前にしたとき、旅人は自らの小ささを知り、同時に島への深い敬意を抱くことになるのだろう。
小笠原に上陸すると、私たちは誰もが、ある「旅の作法」を実践することになる。靴の裏についた外来種の種子や小さな虫を落とし、固有の森に入る前には衣服を払う。島を去るときには、自分が野生動物たちの住処を乱さなかったか、自らの足跡を静かに振り返る。それらは生態系を守るための義務であり、ルールだ。
絶滅の危機に瀕していたあかぽっぽを守るために、島民たちが長い時間をかけてノネコ対策やネズミ駆除といった地道な努力を重ね、生きものたちと共にある暮らしを必死に守ってきた歴史を知ればなおさら、その作法の重みが増す。外来種も在来種も、どちらの命も大切であるからこそ、この絶海の生態系バランスを保つためのルールを守ることは、この島で生きるすべての命への約束だ。島の深い歴史に触れた後では、課された作法が単なる規則を越えて、大切な人の家を訪ねるときの、ごく自然な心の現れのように思えてくる。
利便性とスピードがあらゆる価値の頂点に置かれる現代において、24時間をかけなければ辿り着けない場所があるということは、一種の救いだ。
よく周りの人に小笠原への行き方を聞かれ、船で24時間かかると答えると、多くの人が一瞬戸惑いを見せる。「そんなに長い時間、何をして暇を潰せばいいの」「電波も入らないんだよね」と、困った顔をされるのだ。けれど、ただ時間が過ぎるのを待つだけが移動ではない。船が南へ進んでいくうちに、いつしか空を舞う鳥の種類が変わり、肌をかすめる風の匂いが変わっていく。携帯電話から解放され、変わりゆく海の色をじっと眺めていると、船上の24時間は退屈なものではなく、五感が少しずつ開かれていく贅沢な時間なのだと気付かされる。効率的な移動は目的地をただの点に変えてしまうが、小笠原への長い航路は、旅を豊かな線の営みへと引き戻してくれるのだ。
船が二見港の岸壁を離れ本州へ向かうとき、島民たちが「いってらっしゃい」と声を枯らして、いつまでも手をふり、ときには海に飛び込んで見送ってくれる。「さようなら」ではない。また海を渡って帰ってくる場所。
胸の奥に残るあの青い余韻は、今も時折、私に旅のあり方を問いかけてくる。
写真=中村風詩人
文=帆志麻彩
▼参考
小笠原世界遺産センター
小笠原村観光協会
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『小笠原のすべて』JTBパブリッシング
