漂いながら、生きる旅。#6「水位」


生きる、はたらく、つくる。人生そのものを旅路と捉えた「過程」の記録。 
日常の中で生まれる気づきや心の揺らぎをたどり、書き留めるエッセイ。
 
寄稿者=大中原春菜(グラフィックデザイナー)

旅をしていないはずなのに、なぜかずっと「旅」をしている感覚がある。

日々を生き、はたらき、つくること。
その繰り返しの中で、私たちは知らないうちに、幾度となく選択をしている。

自分にとって何が大切で、何を大切にしたいのか。何を選び取り、何を手放すのか。自分の言葉や行動に対して責任を持ち、決断し、取捨選択をする。

遠くへ行かなくても、心はいつも少しずつ漂流している。そんな人生という旅の途中で、立ち止まりながらどう漂いながら生きるのかを見つめつつ、アートと日常のあわいにある心の動きを記録する「灯台の時間」のような、小さな記録です。



人には、それぞれ水位がある。

踏み込んでいい領域と、そうではない領域。抱えられる量と、抱えなくていいもの。その境界は曖昧になりやすく、ときどき自分でも見失ってしまう。

人に囲まれているほど、満たされるのだと思っていた。けれど不思議なことに、関わる人が増えるほど孤独になる瞬間が多かった。たくさんの人に囲まれているはずなのに、自分の輪郭が溶けて曖昧になっていく。帰路につく頃には、「やっと一人になれた」と安堵している自分に気づく。

どうにも人との距離感が難しいと苦手意識があった。もっと理解すればいい。もっと歩み寄ればいい。もっと優しくなればいい。そんなことを、ぐるぐる考えていた。相手の気持ちを汲み取り、先回りして動き、できるだけ穏便に、波風を立てないように振る舞う。そうしていれば、関係はうまくいくと思っていた。

けれど、それは本当に「優しさ」だったのだろうか?問いを立ててみると、相手に何かを差し出すことと相手の人生を背負うことは、似ているようで違うのだと気づく。

何かを「してあげる」と「自分がそうしたいからする」は、例え結果が同じだとしても別のものだ。前者には期待が生まれやすく、後者には選択が残る。その違いはとても大きい。見返りを求めない優しさはいくらでも受け取りたいが、期待が透ける場合は受け取った分だけトラブルを招くものだ。
それは、自分ごととしても同じである。相手に何かを期待して差し出したものごとに対しては、その期待通りの見返りがなかったときに、「不満」「不安」「不信感」「裏切り」のようなものが、心の中に湧き上がったりする。それだけ、期待というものは強い力を持っているのだなと思う。

断る、という行為にはかなりのエネルギーが必要だ。罪悪感から「断る」ということがとても苦手だったが、結果的には、それこそ相手に対して不誠実であり失礼になることの方が多い。断ることは否定ではない。“受け取らない”ことを選ぶこともまた、誠実さのひとつであると考えるようになった。そして、そもそもそのような状況を自らつくらないように意識するようになった。これは、まだまだ難易度が高くて修行中だ。

課題には、それぞれ持ち主がいる。相手の感情は、相手のもの。相手の選択も、相手の責任。本来、自分が引き受ける必要のないものまで、以前は抱え込んでしまっていたのだと思う。それが「重さ」の正体だった。

課題を分けることは、相手を突き放すことではない。むしろ、対等でいるための前提だ。どちらかが背負いすぎれば、関係は簡単に傾き、やがて信頼も失われていく。「助けてあげる」「守ってあげる」という構造は、気づかないうちに上下を生んでしまう。私自身も、誰かに人生の主導権を預けたくなったことがある。決断疲れということばがあるように、決めることにはエネルギーがいるからだ。そうした関係の中にいると、自分で決める力まで少しずつ手放してしまう。

助け合い、守り合い、支え合うことと、誰かの人生を代わりに生きることは違う。親の夢を肩代わりすることも、マリオネットのようで息が詰まるだろう。助け合いには循環がある。けれど、誰かの人生を肩代わりする関係には依存が生まれる。

善意から始まったはずの関係が、いつしか依存や期待へ変わってしまうこともある。それが執着へ変わる構造が何より怖い。優しさに見える行為の中に、長い時間をかけて相手を縛ってしまうものがある。そして同時に、自分自身も縛っていく。それは、「真綿で首を絞める」ということばの通り、静かな共倒れのような共依存関係だ。

灯台は、ただその場所で光を灯し続ける。そして、必要なときにその光は船に届く。

課題を分けることは、冷たさではない。水位を見極められるようになってこそ、人と人は深く関われるのだと思う。

近づきすぎず、離れすぎず。
その距離の中で、今日も自分の足がつく深さを確かめている。




Profile

大中原春菜 / アートディレクター・グラフィックデザイナー・ペインター

1995年、東京生まれ。
東京デザイナー学院卒業後、Web広告のベンチャーとデザイン事務所を経て、2024年より自身のクリエイティブスタジオ「noaun(ノアン)」をはじめる。東京を拠点に、ブランディングを軸とした様々な領域のデザインを行う。 日常の心地よい空気感や光をテーマに抽象画をメインとした制作活動や、余白とあたたかみを大切にしたイラストレーションも手掛けている。

noaun.jp

▼著者の寄稿文一覧
https://atsea.day/blogs/profile/haruna-onakahara