漂いながら、生きる旅。#2「凪に佇む灯り」
生きる、はたらく、つくる。人生そのものを旅路と捉えた「過程」の記録。
日常の中で生まれる気づきや心の揺らぎをたどり、書き留めるエッセイ。
寄稿者=大中原春菜(グラフィックデザイナー)


旅をしていないはずなのに、なぜかずっと「旅」をしている感覚がある。
日々を生き、はたらき、つくること。
その繰り返しの中で、私たちは知らないうちに、幾度となく選択をしている。
自分にとって何が大切で、何を大切にしたいのか。何を選び取り、何を手放すのか。自分の言葉や行動に対して責任を持ち、決断し、取捨選択をする。
遠くへ行かなくても、心はいつも少しずつ漂流している。そんな人生という旅の途中で、立ち止まりながらどう漂いながら生きるのかを見つめつつ、アートと日常のあわいにある心の動きを記録する「灯台の時間」のような、小さな記録です。
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人との対話は、いつでも成り立つとは限らない。 年齢や性別、国籍や立場に関係なく、こちらの言葉が届かないと感じる瞬間がある。
対話とは、価値観の違う相手と歩み寄るために、お互いに向き合う手段だと思っている。けれど、ときどきそれは一方通行になることがある。論点は少しずつずらされ、話題はいつの間にか、人格の問題や事実とは異なる話へと置き換わっていく。気づけば、自分が何を間違えたのかを考え始めている。
相手の話が理解できないのは、自分の理解力が足りないからなのだろうか。 そんなふうに自分へ矢印が向き、次第に「無価値感」が大きくなる。尊厳が静かに削られていく感覚とは、きっとこういうことなのだと思う。
事実は、少しずつ別のかたちにすり替えられ、気づいたときにはこちらだけが消耗していく構造にはまっている。後になって振り返ると、それは見事なまでのイリュージョンのようだなと思う。
思えば私は、長いあいだ「役割」を生きていた。
場を和ませる人。 人当たりのいい人。 優しい人。 空気を読める人。 期待に応える人。 頭の回転が速い人。 センスのいい人。 クリエイティブな人。 欲しい言葉をくれる人。
派手なメイクやヘアスタイルをし、足し算のおしゃれで必要以上に着飾り、他人からどう見えるかを一番気にして、「求められる自己像」を生きることに一生懸命だった。
俳優でもなければ、演じる役があるわけでもないのに、鎧を纏い、演じることだけが上達していく。自分の人生の“主役”のはずの自分が、他人軸で作られた偽りの姿を生きている。なんとも皮肉な主人公だ。
——そのことに、当時の私は気づいていなかった。
嫌われないように、責められないようにと、無意識に相手の顔色を伺っていた。相手の反応次第で、対応も言動もブレていた。もし嫌われたとしても、「それは本当の自分じゃないから仕方ない」と、どこかで諦めの逃げ道を用意していたのだと思う。
自分軸と他人軸の境界は、そうして少しずつ曖昧になっていった。ことあるごとに、「でも」「だって」「環境的に仕方がなかった」「今はタイミングじゃなかった」「あの人がこう言ったから」と、自責に見せかけた他責の言葉を並べていた。
みんなに好かれる“何者か”になりたい。 でも、その“何者か”が何なのか、なぜ好かれたいのかは、自分でもわからなかった。
今ならわかる。愛想のよさや八方美人は、優しさではなかった。与えているつもりで、実は相手から「安心」や「承認」を受け取ろうとしていた。優しさとして差し出しているように見えて、実はどこかで、見返りを期待している自分がいた。それは、とても無自覚なかたちの「奪う」行為だったのだと思う。
「やってあげる」「助けてあげる」「必要以上の心配」「先回りの解決」「求められていないアドバイス」などは、基本的に相手を下に見ていることになる“エゴ”だ。見返りを求めた瞬間、関係は対等ではなくなる。
これは、意図してやっているわけではないことがほとんどだ。私自身も、長いあいだ無自覚だった。たとえ見返りがなくても、受け入れられなくても、「自分がそうしたいから差し出してみる」という文脈であれば、それは思いやりであり優しさなのだと思っている。
受け取るかどうか、返すかどうかは、相手次第だ。
他人から見れば「いい人」であり、同時に「都合のいい人」でもある。
そう振る舞うことで衝突を避け、関係を曖昧なまま保とうとしていた。けれどそれは本質ではなく、何ひとつ「本当」がない人生を生きることでもあった。
自分磨きをしているはずが、虚無感だけが増えていく。 いわゆる「心の穴」と呼ばれるものだ。
その場しのぎで埋めた気になっても、誤魔化しはきかない。自己陶酔による麻酔は短い。 たとえ好意を向けられても、近づいてくる人が好きなのは「鎧を纏った自分」であって、本当の自分ではない。自分が自分を生きていないことを、本当はどこかで知っているからこそ、いつしか疑いの矛先を他者へ向けてしまう。悪循環だ。
その矛盾から目を逸らすために、随分と努力をした。ただし、方向性を間違えた努力は空回りする。自分はこうだと、自ら型にはまりにいく行為は、自分がないことの裏返しだ。
役割を演じ続けるうちに、自分が何を感じているのか、自分が誰なのかが、次第にわからなくなっていった。
あるとき、身内以外のすべての人間関係を切ることになった。自分の意思ではなく、必要に迫られ、強制的に断捨離をしなくてはならなかった。そのとき、切なさや哀しさ、そして恐怖と同時に、不思議と“身軽さ”を感じている自分に驚いた。
そのときはご縁が切れたとしても、生きている限り、必要なご縁は必要なときにまた繋がる。人間関係は流動的なものなのだと、そのときにはじめて知った。
すべては、本来自分が背負う必要のないものだったのではないか。窮屈で不自由だと思い込んでいただけで、ただ幻想に縛られていただけだったのではないか。そんな考えが頭に浮かんだ。
相手の感情や課題は相手のものであり、自分が引き受けるものではなかった。自他の境界線が曖昧になり、相手の土俵に立つことを選んでいたのは、認めたくはないが紛れもなく「自分」そのものだったのだ。
耳障りのいい言葉を並べ、曖昧な態度を選び、責任と覚悟から距離を取っていたのも自分。余裕に見せかけた、不誠実さ。それは完全なる他責だと気づくには、10代の自分には重く苦しく、時間がかかった。
偶然や誰かのせいに見えることも、感情も思考も思想も、すべては自分が選び、決断してきた結果なのだと、ようやく腹落ちしたのはかなり最近のこと。頭でわかることと、肌で感じて腹落ちすることには、かなりの時差がある。けれど、どん底まで落ちたとしても、どん底にはちゃんと「底」がある。底突きで、あとは水面まで上がるだけだ。深海だとしても、いずれ必ず、目の前に光が広がる日は来る。一度体験すれば、どん底も意外と怖くなくなる。
不誠実な土俵では、どれだけ誠実に言葉を尽くしても、対話は生まれない。そこにあるのは、議論に見せかけた、静かな消耗だけだ。心身の危険を感じたら、逃げたほうがいい。それだけは「正しい」と断言できる。
それでも私は、できる限り本音で向き合おうとした。相手を嫌いになりたくなかったし、自分自身を裏切りたくもなかったからだ。もしその本音が受け入れられなかったとき、それは歩み寄りが破綻する。それにより導き出されるのは、もう同じ場所にはいられないという、ひとつの「答え」だけだ。誰かを糾弾するためではなく、自分の立つ場所を選び直すための理由として。
柔軟であることと、流されることは違う。軸を持ったまま揺れることと、他人の波に身を委ねることは、同義ではない。
選ぶということは、責任を引き受けることだ。 そしてそれは“自由”ととてもよく似ている。
覚悟をもって責任を引き受けるほど、人は不思議と自由になっていく。一度選んだら逃げられなくなる、自由がなくなる、だから失敗できないと思い込んでいたが、実際はそうではなかった。ただ「完璧主義」に縛られていただけだった。
自己犠牲は、優しさに見える。けれどその裏には、誰かの評価に自分の価値を預けてしまう苦しさが隠れていることもある。誰かを大切にするためには、まずは自分を大切にして満たされていることが、大前提として必要だ。満たされていなければ、誰にも何も差し出すことはできない。
人間は誰しも未熟である。だからこそ、それを引き受けて、受け入れて、これからも自分の人生を「自分」として生きていくしかない。
灯台は動かない。 嵐の中でも、誰かと争うことはしない。 ただそこに佇み、静かに光を灯し続ける。
だから私は、不毛な争いの土俵には立たないことを選ぶ。同じ土俵に立たないことは、逃げではなく、自分の立つ場所を選び直すという意思だ。良い悪いという、単純な正義の話ではない。期待は無意味だ。ただ、立つレイヤーが違うだけである。
レイヤーはまるで螺旋階段のように、生涯かけてぐるぐると、1歩進んでは2歩下がるような進み方をするのだろう。ゆっくりでも、振り返ってみれば、意外と前進している。
そこでは、対立も、期待も、静かに手放されていく。
Profile
大中原春菜 / アートディレクター・グラフィックデザイナー・ペインター
1995年、東京生まれ。
東京デザイナー学院卒業後、Web広告のベンチャーとデザイン事務所を経て、2024年より自身のクリエイティブスタジオ「noaun(ノアン)」をはじめる。東京を拠点に、ブランディングを軸とした様々な領域のデザインを行う。 日常の心地よい空気感や光をテーマに抽象画をメインとした制作活動や、余白とあたたかみを大切にしたイラストレーションも手掛けている。
