漂いながら、生きる旅。#1「灯台の時間と境界線」


生きる、はたらく、つくる。人生そのものを旅路と捉えた「過程」の記録。 
日常の中で生まれる気づきや心の揺らぎをたどり、書き留めるエッセイ。
 
寄稿者=大中原春菜(グラフィックデザイナー)

旅をしていないはずなのに、なぜかずっと「旅」をしている感覚がある。

日々を生き、はたらき、つくること。
その繰り返しの中で、私たちは知らないうちに、幾度となく選択をしている。

自分にとって何が大切で、何を大切にしたいのか。何を選び取り、何を手放すのか。自分の言葉や行動に対して責任を持ち、決断し、取捨選択をする。

遠くへ行かなくても、心はいつも少しずつ漂流している。そんな人生という旅の途中で、立ち止まりながらどう漂いながら生きるのかを見つめつつ、アートと日常のあわいにある心の動きを記録する「灯台の時間」のような、小さな記録です。



人と関わる中で、ときどき、うまく言葉にできない違和感が生まれる。

誰かを責めたいわけでも、自分が正しいと言いたいわけでもない。ただ、その場の空気に流されることが少しだけ苦しくなる瞬間がある。

私は、自分に正直に誠実な姿勢で生きたいと思っている。それは、正解を選び続けることでも、糾弾することでも、誰かに期待し続けることでもない。

自分が感じたことを、感じなかったことにしないこと。
都合のいい解釈で、心の揺らぎや感情をなかったことにしないこと。

人は変えられない。環境もすぐには変わらない。
だからこそ、自分の立ち位置だけは、静かに、正確に測っていたい。

曖昧なままでも、いつか終わりはやってくることがある。選ばなかったことで、失ってしまうものも、確かに存在する。ただ、何も選ばないことを選ぶ、という選択もある。それはときに、覚悟と責任を伴う、強い決断でもある。

離れることも、選ばないことも、どちらも自分で引き受ける人生の選択である。境界線を踏み込まないことも、距離を取ることも、ときには誠実さの一部だと思う。

無理に理解し合わなくてもいい。
期待を手放すことで見えてくる景色もある。

相手の問題は相手のものとして背負わないことも、覚悟であり優しさなのかもしれない。 一見、思いやりや優しさに見える行為の中に、長い時間をかけて相手を縛ってしまう残酷さが潜んでいることもある。

灯台は、船を導くために海の真ん中へ行くことはない。
ただ、その場所に立ち、光を灯し続ける。

誰かの承認がなければ立っていられない場所は、きっと自分の居場所ではない。誰かに「ここにいていいよ」と言われるのを待たなくていい。自分で自分に、ありのままで「ここにいてもいい」と伝えてあげること。それが、自己受容なのだと思う。

私は、誰かに許可される存在ではなく、自分で存在を引き受ける人でいたい。他人の評価は、風向きのように容易く変わる。だから私は、他人に嫌われることよりも、自分に嫌われない選択を重ねていたい。

自分が選んだ場所で、輪郭を保ったまま、今日も静かに自分の在り方を模索している。

漂いながら、生きる旅の途中で。



Profile

大中原春菜 / アートディレクター・グラフィックデザイナー・ペインター

1995年、東京生まれ。
東京デザイナー学院卒業後、Web広告のベンチャーとデザイン事務所を経て、2024年より自身のクリエイティブスタジオ「noaun(ノアン)」をはじめる。東京を拠点に、ブランディングを軸とした様々な領域のデザインを行う。 日常の心地よい空気感や光をテーマに抽象画をメインとした制作活動や、余白とあたたかみを大切にしたイラストレーションも手掛けている。

noaun.jp

▼著者の寄稿文一覧
https://atsea.day/blogs/profile/haruna-onakahara