人間の叡智によって造られる静寂の「水庭」へ / アートビオトープ那須

清らかな水と森に囲まれる那須高原。大正15年には皇室の那須御用邸が造られ、ロイヤルリゾートとしてその名を広く知られるようになった。昭和天皇が『那須の植物誌』を上梓されたように、那須高原は多くの植物が育つ自然の宝庫だ。

日々の喧騒を忘れて特別なひとときを過ごせるこの地に「唯一無二の空間ができた」と聞き、足を運んでみることにした。

文化や知に触れる旅を
学びの場となる滞在

訪れたのは、那須の中心地から少し離れた場所に建つ「アートビオトープ那須」。日本のリゾートを索引した二期倶楽部の文化施設として2007年に開業した。"biotop" は bios(生物)と topos(場所)を組み合わせたギリシャ語の造語だそう。また、その名に "art" と付くだけあり、ここアートビオトープ那須は芸術振興に力を入れている。

特筆すべきは、2008年より実施している芸術家の制作活動(陶芸、ガラス、写真、映像、舞踊、絵画、彫刻、演劇など)を支援する公募制プログラム「アーティスト・イン・レジデンス・プログラム」だろう。選ばれた作家は一定期間アートビオトープに滞在しながら制作支援を受けることができる。毎年国内外を問わず様々なジャンルの作家が滞在し、大自然の中で創作活動に勤しみながらワークショップやイベントなど地域に開かれた活動を行っているそうだ。

建築家が造る「水庭」
自然とアートの新しい可能性

この日は、敷地内にある「水庭」を見学することに。東京ドームのグラウンドがすっぽりと入ってしまう程の大きさがある水庭は、一体どのように造られたのだろうか。

水庭の敷地は、周囲の土地と同様に元々雑木が生い茂る里山だった。そして、先人が里山を切り開いて水田にし、その後は牧草地として長く利用されていた。

現在の水庭にある木々は、隣接する敷地にあるヴィラやレストランの開発によって伐採される予定であった樹木318本を移植したもの。"移植" と一言で言っても、簡単にできることではない。木を傷めず、元の姿を残したままでの移植を実現するため、日本に2台しかない特殊な機械を使用しながら慎重に作業が進められた。移植できるのは一日にわずか4本程度のため、構想から完成までに4年もの歳月を要したという。木々の周りに配置されている大小160のビオトープ(池)は、奥に進むほど段々と大きくなる。最初は木の間に池が配置されているが、それがいつの間にか大きな池の中に木が配置されている、といったように反転していく。

池の水は敷地脇を流れる上黒尾川から引き込み、その水が池を経由して再び川に戻っていくよう設計されているそうだ。その土地の自然と人間の手によって生み出されるアートが美しい形で融合している。水庭の設計を手掛けたのは、世界的な賞を多数受賞している建築家の石上純也氏。森林ー水田ー牧草地というこの土地が積み重ねてきた歴史の記憶や周囲の環境を、元々その場所にあった素材と重ね合わせて表現している。

「木・池・苔」という3つの構成要素はミリ単位で調整され、その緻密に計算され尽くしたデザインは360度どこから眺めても美しい。水庭の入り口にも注目したい。入り口は二箇所設けられており、どちらも玄関の意味合いを持たせている。また、入り口からの飛び石は「住宅の玄関から入り、アプローチを経て、幅の狭い廊下を通り、リビングのような開放的な空間に至る」といったイメージを重ねて配置されているのだとか。自然と建築の新しい可能性を感じるデザインだ。全体に配されている飛び石にも設計者のこだわりが詰まっている。

「"緊張と解放" の連続、そして人間のバランスを考えられた飛び石の配置になっています」と石上氏は話す。

その配置は歩幅や視線に合わせて計算されており、「小さな飛び石」を歩く時は足元に注意して緊張しながら、「大きな飛び石」を歩くときは周囲の光景を楽しみながら開放的な気分を味わえるように、という意図が組み込まれているそうだ。また、水庭を散策していると数脚の椅子が置いてあることに気付く。これらの椅子は、腰掛けた人の視線があえて木に遮られることによって、対岸の椅子に座っている人と視線が交差しないよう配慮されているという。

椅子に座り、ゆっくりと空を仰ぐ。鳥たちの声や葉擦れの音に耳を澄ませると、まるで自分だけの自然を手に入れたような解放感を味わえる。非日常な空間の中で五感が研ぎ澄まされていく体験は、内的自己を見つめ直す「禅の庭」に通じるものを感じた。

儚い静寂の美しさを想う

本来、池のすぐそばに木を植えると根が腐ってしまうため、ありのままの自然だけでこのような風景は生まれない。しかし、高度な技術と膨大な時間に支えられ、自然界では決して見ることのできない特異な空間を実現している。

人間の手と叡智によって成立する自然。人が少しでも手を緩めればこの姿を保つことはできない、とも言える。その儚さが水庭の美しさを一層際立たせ、人々を惹き付けるのだろう。

春は芽吹き、夏は新緑から濃い緑へ、秋は紅葉して落葉、冬は雪化粧に包まれる。四季折々で移ろう水庭の美しさを味わうために、またこの場所を訪れたい。そう思える滞在だった。

"聴くに値するのは沈黙だけです。
Silence is alone  worthy be heard.

artbiotopは、来るべきアートのための小さな苗床です。
あらゆるものが親和して、ゆるやかに循環している、
一つの生命圏です。

陽光と、雨と、風と、熱と、冷気と、草木と、花と、木々と、
果実と、朝露と、夕べの静けさと、星をちりばめた夜空と。

ここでは、沈黙と孤独こそが、最上の贈与。
すべてが、分かち合うべき、生き物の獲り分です。

artbiotopで、思いきり耕してください、
じぶんの畑を、じぶんの手で。"

(アートビオトープ那須HPより引用)

◇ アートビオトープ那須「水庭」
住所:栃木県那須郡那須町高久乙 道上2294-3
TEL:0287-78-7833(水庭見学ツアー)
https://www.artbiotop.jp/water_garden/ 
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[無料送迎バス(事前予約制)]
那須塩原駅とアートビオトープを結ぶ送迎バスが運行している。乗車料金は無料。
行き:那須塩原駅西口発 10:00* / 12:30 / 14:30
帰り:アートビオトープ発 11:10 / 13:10 / 15:10
※アートビオトープまでの所要時間は30分程度
※行きの10:00発のバスは、土日祝日のみ運行


文=帆志麻彩