アリックス・クレオ・ルボー展覧会『Si quelque chose noir』
寄稿者:中島ゆう子(写真家)
真夏日が続いていた8月のベルリンは、9月に入ると急に秋の気配を帯び始めた。冷たい風が黄色や茶色の葉を揺らし、木々のカサカサとした音が耳に届き始めたある日、少し厚めのジャンパーを羽織り、Galerie Buchholzへ向かった。照りつく暑い日が続いていた頃からずっと楽しみにしていたアリックス・クレオ・ルボー(Alix Cléo Roubaud)の展覧会「Si quelque chose noir(もし何か黒いものが)」が、秋の訪れと一緒に始まった。
彼女が31歳という若さでこの世を去る前に残した、モノクロ写真作品。ギャラリーの呼び鈴を鳴らし、会場のあるドイツ式1階へと階段を駆け上がる。モノクロ作品を観るのは久しぶりだ。ワクワクしながらドアを開けると、胸のざわめきがすっと落ち着く、まるで時間が止まったような、静かに凛とした展示空間が広がっていた。
記憶の残り香、まばたきが捉える幻像
セルフポートレートが多く展示されている中、最初に心が引かれた作品は、「コラージュ」のような作品だ。実際、この作品をなんと呼べばいいのか正直分からない。暗室で作品をプリントする際に制作するテストピースにも見えるし、多重露光にも見える。作品に写るアリックス自身の姿が、まるで「幻像」のように立ち現れている — それは「まばたき」の瞬間に網膜に焼き付く、曖昧な記憶のようだった。彼女が印画紙に焼き付けた光と影、そして自分自身の姿は、彼女が生きた短い時間の残り香、あるいは吐息のように感じた。
アトリエというカメラオブスキュラと、死の予感
息を呑むような作品群は、どのようにして生まれたのか。1980年の夏、彼女はフランス南西部の村にある石造りの家で、窓が一つしかないアトリエにこもり、自分自身を撮影し続けたという。 彼女はカメラを三脚に固定し、長時間のシャッターを開け放ち、光の長方形の中で自らが「筆」となって踊った。それはアトリエという空間そのものを巨大な「カメラオブスキュラ」に見立てるような行為だ。そして彼女は現像プロセスに数ヶ月を費やし、唯一無二の写真を生み出した後、そのネガ(彼女にとってのパレット)をすべて破棄している。
展覧会タイトル「Si quelque chose noir(もし何か黒いものが)」。タイトルの響きは正直少し怖いし、立ち向かっても乗り越えられない悲しいもの、死や命の儚さを感じさせる。光を飲み込む深い黒に佇む写真の中のアリックスは、静かにこちらへ来る、まるで死神のようだ。モノクロの粒子のひとつぶひとつぶが、絶望や悲哀、静かな死の予感のように漂っている。 彼女はすでに自分の死を予期していたかのようだ。

「儚き人々」と、ガラスに反射する私たち
長時間露光で撮影された彼女自身の姿(写真上の薄い自分)は、半透明で今にも消えてしまいそうだ。作品「Les gens de l'éphémère / 儚き人々 (People of Transience)」は、さらに私の胸を鋭く締め付ける。
この作品を観覧する中で「ハッ」とさせられたのは、額装された作品を覗き込む際、保護用のガラスマウント上に、今を生きる観覧者である自分自身の姿が反射して映り込んでいたことだ。半透明で薄れゆく写真の中のアリックスの姿と、ガラスに反射する現代の私たちの姿が重なり合う瞬間。鑑賞するという行為を通して、私たち自身もまた、時の中で移ろいゆく「儚き人々」の一人である、ということを作品から突きつけられた。
アリックスの作品群を通して、生と死、「私」と「他者」いう存在を久々に生々しく感じた。ギャラリーを出て秋の冷たい空気を吸い込むと、ベルリンの傾きかけた日差しの中で、自分が今ここに存在しているという感覚が、不思議なほど愛おしく思えた。





Alix Cléo Roubaud / Si quelque chose noir 展覧会開催概要
会期:2026年9月10日(木)〜2026年10月31日(土)
時間:11時〜18時
休館日:日曜・月曜
会場:Galerie Buchholz (Fasanenstraße 30, 10719 Berlin)
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