晩年を捧げた「スラヴ叙事詩」全20点公開。『ミュシャ』展 / 国立新美術館
5 )スラヴ民族の賛歌 / painted on 1926
スラヴ叙事詩 / Slavic epic
チェコ共和国と言えば、絵本やボヘミアンガラス、あるいは首都プラハと聞くと華々しい国家として思い浮かぶ人も少なくないだろう。しかし現在のチェコが出来たのは1993年、驚くことにチェコはまだわずか20年たらずの国家なのである。中世代よりオーストリア、ハンガリーなど各国の支配を受けながらも独立への革命を繰り返してきた。その独立への確固たる意思こそ、「スラヴ」という民主主義に他ならない。今やチェコを代表する画家であるアルフォンス・ミュシャ、独立気運高まる20世紀前半に彼が描いた "スラヴ叙事詩" は、スラヴ人としての国民の魂を少なからず後押ししたことだろう。8メートル20枚というかつて無いスケールで描かれた歴史的な大作を国立新美術館で観ることができた。
色にのせた想い
"スラヴ叙事詩" は、第一次世界大戦の開始した1914年に一作目が描かれた。この年に描かれたうちの2点が以下にあたる。1 )イヴァンチツェの兄弟団学校 / painted on 1914
Close-up:若き日の自画像
老人に聖書を読み聞かせているのは若き日のミュシャ自身。
1914年という大戦の始まる年に、彼は平和を唱えていたのだ。 |
2 )ロシアの農奴制廃止 / painted on 1914
Close-up:モスクワの少女 唯一ロシアを舞台に描かれ、農奴から解放された農民たちが当惑している様子が伺える。自由への安堵というよりは、異様な静けさが漂っている。 |
1の作品で描かれているのは、チェコ語の聖書発祥の地であり、ミュシャの生まれ故郷でもあるボヘミアのイヴァンチツェだ。1457年に結成された兄弟団は教育こそが真の信仰の鍵であると信じ、新約聖書のチェコ語への翻訳を行っていた。そして、初めてチェコ語で書かれた『クラリツェ聖書』は、チェコ人のアイデンティの象徴になった。左手前に描かれたこちらを見据える学生は、若き日のミュシャ自身である。教会塔を囲んで飛んでいる鳥たちと共に、やがて訪れる悲しい迫害を暗示しているようだ。
2の作品は、スラヴ叙事詩制作にあたり支援したチャールズ・クレインが希望したテーマで、1913年にミュシャがロシアへ訪れた後で描かれたものだ。本来は1861年の産業改革の称賛、スラヴ人最大の国家ロシアの栄光を描くつもりでいたが、変わらないロシア庶民の悲惨な現状を目の当たりにしたミュシャは、旅から戻り絵の色調を色褪せたものに変更したと言われている。
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1914年から1926年後半に至るまで12年の間に描かれた20枚の作品、後半も独立は果たせておらず、幸せなシーンはひとつも描かれていない。
3 )聖アトス山 / painted on 1926
Close-up:ロシアからの巡礼者 聖アトス山はギリシャ正教会の中心地で、スラヴ民族の心の象徴として描かれている。画面の上半分を天上界、下半分を地上界として表現した。 |
4 )スラヴの菩薩樹の下で行われるオムラジナ会の誓い / painted on 1926
Close-up:唯一未完の作 唯一ロシアを舞台に描かれ、農奴から解放された農民たちが当惑している様子が伺える。自由への安堵というよりは、異様な静けさが漂っている。 |
3の作品を作り始める前の1924年、ミュシャは実際にアトス山を訪れ、その時代を超越した神聖な雰囲気に深く感銘を受けたと言われている。スラヴ叙事詩の魅力のひとつに写実的な描き方と象徴的な表現があるが、この絵は特にこの特徴が大きく表れている。
4の作品は、顔が判然としない人物がいることから、唯一未完のまま筆を止めた作品とされている。男たちの右手を挙げた姿がナチスの敬礼に似ていることや、十字に似たモチーフがあるなどの点がナチスの賛歌と受け取られてしまったのだ。誤解がひとり歩きしてしまったこの絵は、生前一度も公にされることはなかった。
苦難を乗り越えることより
その渦中にあっても幸せを見出すこと
スラヴ民族の歴史が4色で描かれた5 (記事上部) の作品は、連作最後の一枚。両手を大きく広げた巨大な青年はチェコの独立を象徴しており、ミュシャの夢や想いが込められた未来のヴィジョンなのだ。
Exhibition (2017 / The National Art Center, Tokyo)