漂いながら、生きる旅。#9「潮目に残る輪郭」


生きる、はたらく、つくる。人生そのものを旅路と捉えた「過程」の記録。 
日常の中で生まれる気づきや心の揺らぎをたどり、書き留めるエッセイ。
 
寄稿者=大中原春菜(グラフィックデザイナー)

旅をしていないはずなのに、なぜかずっと「旅」をしている感覚がある。

日々を生き、はたらき、つくること。
その繰り返しの中で、私たちは知らないうちに、幾度となく選択をしている。

自分にとって何が大切で、何を大切にしたいのか。何を選び取り、何を手放すのか。自分の言葉や行動に対して責任を持ち、決断し、取捨選択をする。

遠くへ行かなくても、心はいつも少しずつ漂流している。そんな人生という旅の途中で、立ち止まりながらどう漂いながら生きるのかを見つめつつ、アートと日常のあわいにある心の動きを記録する「灯台の時間」のような、小さな記録です。

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海には潮目がある。

それは、異なる潮の流れが出会う境界で、水の色や温度が少しだけ変わる場所らしい。私たちの人生にも、きっと潮目は存在するのだろう。

以前の私は、どんな人とも分かり合えるように、場の空気を乱さないように、相手に合わせられることが、柔軟であり“大人”になることなのだと思っていた。けれど、歳を重ねることと、大人になることは、きっと同じではない。ただ年齢を重ねても、自分の価値観を更新できずにいる人もいれば、立場や肩書きに関係なく、「問い」を持ち続ける人もいる。ある日を境に子どもらしさを失い、我慢や忍耐を覚えることが大人になることなのだろうか。それが成人式なのだとしたら、「はい、今日からあなたは大人です。」と言い渡される仕組みは、ずいぶん急な話である。むしろ、自分の中にいる子どもの部分ごと引き受け、愛せるようになることこそ、大人なのかもしれない。ただ“歳を重ねただけの大人”には、なりたくないものだ。

気づけば私は、その場その場でことばを変え、態度を変え、期待される役割を演じていた。誰に対しても優しくありたいと思うほど、自分の輪郭は少しずつ溶けていくようだった。優しいことと、自分を削って相手に合わせることは、混同されやすい。けれど、それは似て非なるものだ。

迎合は、一見すると歩み寄りによく似ている。どちらも相手を理解しようとする行為だからだ。けれど、本質は少し違う。歩み寄りとは、自分の軸を持ったまま距離を縮めること。迎合とは、その軸ごと相手へ預けてしまうこと。ことばで聞けば、その違いはほんのわずかに思える。けれど、心に残る感覚は、驚くほど違う。

歩み寄ったあとには、確かな納得感が残る。
迎合したあとには、小さな違和感が残る。

その違いは、とても小さいかもしれない。けれど、その積み重ねが、やがて人生の輪郭を変えていくのだろう。

以前の私は、その違和感を「自分が未熟だから」だと思い込んでいた。もっと合わせられるはず。もっと優しくできるはず。いつの間にか、「人はこうあるべき」という、誰がつくったのかも分からない理想や、求められる自分像に、自分を押し込めようとしていたのだろう。誰かの正しさを借りている方が、自分で選び続けるよりも楽だったのだろう。過去も、相手も、世の中も変えられない。変えられるのは、自分と未来と受け取り方だけなのだと、自分に言い聞かせていた。

本来は相手の課題であっても、社会の問題であっても、いつの間にか自分ごとのように引き受けていた。参加した覚えのない戦に、勝手に参戦していたような気がする。そうやって、自分の感覚を後回しにし、感覚もことばも追いつかない中で、境界線は曖昧模糊なままだった。

今になって思う。その違和感こそが、自分という輪郭を教えてくれる灯りだったのだと。一貫性ということばを聞くと、頑固さや自我の強さを思い浮かべる人もいるかもしれない。けれど、一貫性とは変わらないことではない。

考え方は変わっていい。価値観は更新されていい。身も心も成長し、時間も進むものだ。失敗したら、学び直せばいい。人は、一度の選択で形づくられるわけではない。日々の小さな選択の積み重ねが、やがてその人の在り方になっていく。流動的なこの世界では、変化することが前提にある。だからこそ、誰かの期待ではなく、自分の意思で選び続けること。その積み重ねが、一貫性なのだと思う。

波は毎日違う。風向きも変わる。海は決して同じ表情ではない。それでも灯台は、毎日違う海を照らしている。変わらないのは、海ではなく、灯りの在り方だ。人もきっと同じなのだろう。環境は変わる。仕事も、人間関係も、立場も、身体も変わる。変化することを恐れるよりも、自分で舵を取り、選び続けることが大事だと感じている。

選択は、その人の輪郭になる。ことばよりも。肩書きよりも。過去よりも。今日、何を選ぶのか。その小さな選択の積み重ねが、その人自身と未来をつくっていく。

私は完璧を目指しているわけではない。未来は予測できず、不安定で、未確定だ。だからこそ、生きるということは、おもしろい。ただ、現在地と、自分の灯りだけは見失わずにいたい。どんな人生の閉幕を迎えたいのか。その景色を思い描きながら、今日もまた目の前のことに向き合い、無数にある選択肢の中から、心が躍る方を選び続けていきたい。

人生の潮目は、これから何度でも訪れるだろう。潮の流れは自分では変えられないし、潮目は自分で選んで現れるものではない。けれど、どの潮に乗るのかは自分で選べる。振り返ってみれば、停滞していると思っていた時間さえ、自分という輪郭をつくっていたことに気づく。

潮の流れは変わり続けても、自分で選んだ航路を、しなやかに進んでいきたい。




Profile

大中原春菜 / アートディレクター・グラフィックデザイナー・ペインター

1995年、東京生まれ。
東京デザイナー学院卒業後、Web広告のベンチャーとデザイン事務所を経て、2024年より自身のクリエイティブスタジオ「noaun(ノアン)」をはじめる。東京を拠点に、ブランディングを軸とした様々な領域のデザインを行う。 日常の心地よい空気感や光をテーマに抽象画をメインとした制作活動や、余白とあたたかみを大切にしたイラストレーションも手掛けている。

noaun.jp

▼著者の寄稿文一覧
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