漂いながら、生きる旅。#8「海峡」
生きる、はたらく、つくる。人生そのものを旅路と捉えた「過程」の記録。
日常の中で生まれる気づきや心の揺らぎをたどり、書き留めるエッセイ。
寄稿者=大中原春菜(グラフィックデザイナー)


旅をしていないはずなのに、なぜかずっと「旅」をしている感覚がある。
日々を生き、はたらき、つくること。
その繰り返しの中で、私たちは知らないうちに、幾度となく選択をしている。
自分にとって何が大切で、何を大切にしたいのか。何を選び取り、何を手放すのか。自分の言葉や行動に対して責任を持ち、決断し、取捨選択をする。
遠くへ行かなくても、心はいつも少しずつ漂流している。そんな人生という旅の途中で、立ち止まりながらどう漂いながら生きるのかを見つめつつ、アートと日常のあわいにある心の動きを記録する「灯台の時間」のような、小さな記録です。
—
人は、自分のことを一番よく知っている。
そう思っていた。けれど、人は案外、自分の声よりも他人の声を長く聞き続けてしまう。人と関わる中で、少しずつ自分を疑うようになることもある。その境界は、とても曖昧だ。
「自分がおかしいのだろうか」「考えすぎなのだろうか」「自分に価値がないからなのだろうか」
はじめは小さな違和感だったものが、繰り返されるうちに、いつしか"事実"のように感じられてしまう。けれど、その感覚は、本当に自分自身から生まれたものだったのだろうか。
事実を語っているつもりでも、その中には感情や主観が混ざる。さらに、思い込みや願望、恐れ、過去の経験が重なれば、現実は少しずつカタチを変えて見え始める。私たちは、案外自分で自分のことが見えていなかったりする。
自分の認知だけを頼りに生きることには限界がある。誰かの何気ない一言が、自分の輪郭を取り戻すきっかけになることもある。反対に、繰り返される否定や矛盾したことばによって、自分の感覚を信じられなくなることもある。無価値感は、ある日突然生まれるものではない。
「そんなこと気にしすぎだよ」「お前が悪い、間違っている」「考えすぎじゃない?」
その一言だけで、人は自分を疑うわけではない。小さな違和感を飲み込み続け、自分よりも他人の解釈を信じ続ける。その積み重ねによって、本来は他人の主観だったはずのものが、少しずつ自分の"事実"へとすり替わっていく。無価値感とは、その静かな積み重ねの先に育っていくものなのだと思う。
だからこそ、第三者の視点を大切にしている。ただし、それは自分の答えを他人に委ねたり、思考を手放すという意味ではない。事実と感情、主観と構造を、一度自分の外へ置いて眺めてみるための、俯瞰の視点だ。
信頼できる誰かのことば、本との出会い、あるいは偶然耳にした会話の一節が、自分では気づけなくなっていた認知の歪みを、ほのかに照らしてくれることがある。
海を渡る船も、自分の現在地を知るためには、灯台や海図が必要になる。自分一人の感覚だけでは、いつの間にか潮の流れに運ばれ、思ってもいなかった場所へ辿り着いてしまうことがあるからだ。
ただ、そのとき気をつけたいことがある。それは、「第三者の意見だから正しい」と思い込まないことだ。第三者の視点は、自分の答えを決めるためではなく、自分では見えなくなっていた景色を照らすためにある。だから最後は、その光をどう受け取るかを、自分で選ばなければならない。それには、自分が考えている正しさを疑うことも大切だ。
自分を疑わないことと、自分が正しいと思い込むことは、似ているようで全く違う。人は誰しも、自分の見たい世界を見て、「正しい」と思いたくなる。私も例外ではない。
だからこそ、「自分が正しい=それ以外は間違っている」という単純な構造には、安易に乗らないようにしている。それは、人を型や肩書きにはめて世界を理解しようとすることと、本質的にはよく似ているからだ。
人は鏡だと言う。その違和感は、自分の固定観念や価値観に気づく、小さな「問い」のはじまりなのかもしれない。違和感が生まれたからといって、すぐに正しいか間違っているかの白黒思考で答えを急ぐよりも、その違和感を「問い」のまま抱えておく。その方が、ずっと難しい。
違う景色があるかもしれない。まだ見えていない事実があるかもしれない。そう思える余白が、自分を疑うこととは違う「柔軟さ」なのだと思う。理解できなくても、複数の見え方を受け入れ、結論を急がずに抱えていたい。
自分を信じるということは、自分がいつでも正しいと思い込むことではない。人間なので、間違えることも勘違いも、認知が歪むことも、失敗もあるだろう。
それでも、自分の感覚を簡単に否定しないこと。違和感をなかったことにせず、自分自身を裏切らないこと。そして、必要なときには信頼できる他者の視点を借りながら、それでも最後に舵を握るのは自分自身であると引き受けることなのだと思う。その繰り返しが、「自分ならきっと大丈夫だ」という静かな感覚を育てていく。その先に育っていく感覚を、私は「自信」と呼びたい。
海峡は、二つの海を隔てながらも繋いでいる。
他人の声と、自分の声。
その狭間を何度も行き来しながら、人は少しずつ、自分という輪郭を取り戻していくのだろう。
Profile
大中原春菜 / アートディレクター・グラフィックデザイナー・ペインター
1995年、東京生まれ。
東京デザイナー学院卒業後、Web広告のベンチャーとデザイン事務所を経て、2024年より自身のクリエイティブスタジオ「noaun(ノアン)」をはじめる。東京を拠点に、ブランディングを軸とした様々な領域のデザインを行う。 日常の心地よい空気感や光をテーマに抽象画をメインとした制作活動や、余白とあたたかみを大切にしたイラストレーションも手掛けている。
