漂いながら、生きる旅。#3「水平線」


生きる、はたらく、つくる。人生そのものを旅路と捉えた「過程」の記録。 
日常の中で生まれる気づきや心の揺らぎをたどり、書き留めるエッセイ。
 
寄稿者=大中原春菜(グラフィックデザイナー)

旅をしていないはずなのに、なぜかずっと「旅」をしている感覚がある。

日々を生き、はたらき、つくること。
その繰り返しの中で、私たちは知らないうちに、幾度となく選択をしている。

自分にとって何が大切で、何を大切にしたいのか。何を選び取り、何を手放すのか。自分の言葉や行動に対して責任を持ち、決断し、取捨選択をする。

遠くへ行かなくても、心はいつも少しずつ漂流している。そんな人生という旅の途中で、立ち止まりながらどう漂いながら生きるのかを見つめつつ、アートと日常のあわいにある心の動きを記録する「灯台の時間」のような、小さな記録です。



正しいことを伝えれば、伝え方を変えてみれば、いつかは分かり合えると思っていた。

ことばを選び、順序を整え、感情を抑えて話す。
丁寧に説明すれば、いつかきっと届くはずだと。

けれど、話せば話すほど、何かがずれていく。

論点ではなく、態度が問われる。
正しさではなく、人間性が試される。

そこで、ようやく気がついた。

分かり合えないのではない。
そもそも、視座が違うのだと。

「普通はこうあるべき」「みんな言っている」「一般常識ではこうすべき」「人生や幸せの正解とされるレール」

その“普通”は、いったい誰の視点から見たものなのだろう。その“みんな”は、誰のことを指しているのだろう。その“常識”や“レール”は、いつどこで誰が決めた基準なのだろう。

前提や当たり前とされているものを疑わずに受け取ることに、自分の人生の航路先も操縦もすべて他人に任せてしまうことに、私はずっと違和感を抱いてきた。

親も先生も大人も、ただの人間だ。必ずしも“正しい”とは限らない。もちろん、自分自身も例外ではない。

正しさにも「型」があるのだと、後に知ることになる。

何を指し、どの定義で、誰が決めた意見なのか。その「問い」が浮かび上がったとき、それを無視しないこと。それだけで、立つ場所は変わる。

正義と悪の二択で語られる世界は、 思っているよりもずっと視野が狭い。

正しさを振りかざすこと。
相手を論破すること。
感情のままに声を荒らげること。
威圧して抑圧すること。

それらを強さだと思っていたこともある。けれど、それは本当の強さではなかったのかもしれない。本質を分解し、視点をずらしてみると、見え方が少し変わる。

本当の強さは、もっと静かで、美しい。

言い返せるのに、言い返さないこと。
説明できるのに、わざわざ説明しないこと。
その場に留まりながらも、不用意に自分を差し出さないこと。

沈黙は、必ずしも敗北ではない。

凪を選ぶということは、何も起こさないことではなく、回避でもない。自分の立つ位置を静かに守りながら、境界線と輪郭を保つことだ。

深く呼吸ができて、心も身体も凪のまま、自分が“自分”でいられる。言動と行動の一貫性を重心に置き、自己の本音に耳を傾け、凪を継続していくこと。その感覚が“水平線”なのだと思う。

私はまだ、完全には離れていない。
けれど、もう叫ぶ必要はない。

ただ、自分の“水平線”を見失わずにいたい。




Profile

大中原春菜 / アートディレクター・グラフィックデザイナー・ペインター

1995年、東京生まれ。
東京デザイナー学院卒業後、Web広告のベンチャーとデザイン事務所を経て、2024年より自身のクリエイティブスタジオ「noaun(ノアン)」をはじめる。東京を拠点に、ブランディングを軸とした様々な領域のデザインを行う。 日常の心地よい空気感や光をテーマに抽象画をメインとした制作活動や、余白とあたたかみを大切にしたイラストレーションも手掛けている。

noaun.jp

▼著者の寄稿文一覧
https://atsea.day/blogs/profile/haruna-onakahara