最小単位の幸せと、静かな海について

情報の波や他者の感情が、自分の境界線を越えて押し寄せてくるとき、ふと思うのです。自分という物語を守るためには、「内側の静けさ」に意識を向ける必要があるのではないかと。それは、何かに怯えて殻に閉じこもるという意味ではなく、自分を自分として保つための一種の儀式のようなもの。今回は、内側の静けさを守るための新しいお知らせと、「最小単位の幸せ」についてお話させてください。

-

日々を過ごすなかで、時として「幸せ」という言葉が遠く感じられたり、眩しすぎて目を逸らしたくなることがあると思います。それが大きな幸せの話ではなかったとしても。

例えば、「小さな幸せを見つけよう」という言葉。それがかえって自分を追い詰めてしまう夜もあるかもしれません。珈琲が美味しい、手にした本の一文が素敵だった、道端の花の良い香り、すれ違ったお散歩中の犬が嬉しそうな表情をしていた。そんな、手のひらにのせられるほどのささやかな出来事に心を動かせるのは、きっと健やかな人だけで、今の自分にはそんな小さな幸せを感じる余裕さえない。そう顔を伏せたくなってしまうときもあるでしょう。

人はみな、それぞれに名前のつかない痛みを抱えて生きています。外から見れば穏やかな人生に見えても、その内側には、誰にも見えない淵や、今にも押しつぶされそうな悩みが横たわっていることもある。相手の痛みの深さを正確に計る物差しを、私たちは誰一人として持っていません。だからこそ、誰かと自分を比べたり、羨んでみたり、決めつけてみたり、持っていないもののことばかり考えたり、外側のどこかに正解を探しに行ったりすることは、自分をいっそう孤独にしてしまうような気がするのです。

「小さな幸せを感じる余裕もない」。そう思うときほど大切なのは、外の世界がどれほど荒れ果てていても、自分の内側の世界を守り抜くこと。自分という物語の、たった一人の守護者になることではないでしょうか。

守護者になる。それは決して、自分を甘やかすことではありません。立派に振る舞うことでもありません。これまでの人生で積み重ねてきた喜びも、胸をちくりと刺すような過ちさえも、そのすべてを自分の一部として受け入れ、生きていく。

そして、外から押し寄せる「もっと、もっと」という喧騒に対し、毅然と「しないこと」を決める。情報の波に溺れない。誰かの期待に応えすぎない。自分を削り取りすぎない。そうやって「しないこと」を一つ一つ選んでいくことで、私たちはようやく、自分自身と向き合うための余白を手にすることができるのだと思います。

私が考える「最小単位の幸せ」は、何でもポジティブに捉えようと頑張ったり、自分を好きになろうと無理をすることではありません。ポジティブなときもあれば、ネガティブなときもある。自分を好きでいられるときもあれば、そうでないときもある。そんなのは、流動的でいいのです。

「最小単位の幸せ」、それは「しないこと」を決めた先に生まれた余白の中に、そっと灯りをともすような営みです。美味しいと思えなくてもいい。ただ、温かい飲みものが喉を通る熱を感じる。意味が頭に入らなくてもいい。ただ、本のページをめくる指先の感触を確かめる。今日という一日が無事に終わっていくことに、ただ安堵する。

そうして少しずつ自分の感覚を取り戻すこと、自分を大切にすることは、まわりにいる人たちを大切にすることにも繋がっていきます。自分の内側に穏やかな余白があってはじめて、私たちは誰かの痛みや喜びに、そっと手を伸ばすことができるから。

何者かになろうとするのも良いけれど、まずはいつでも自分に戻れる状態にすること、自分の軸をしっかりと見つめることの方がずっと大切だと思います。
At Sea Day は、ここを訪れてくださる人にとって、穏やかに凪ぐ海のような場所であれたら、という想いで名付けました。

そして今回、"静かな海を眺めるための場所" を新しく作りました。もし心が干上がりそうになってしまったときは、言葉も思考もいったん置いて、ただそこにある海に身を預けてみてください。

心許ない夜も、癒されたいときも、少しだけ避難したいときも。ここは、いつでも訪れることのできる海です。のんびりと、たゆたうように。

あなたの心の海が、穏やかな凪になりますように。
この場所が、その一助となれば嬉しく思います。


静かな海を訪れる




-----------------

「静かな海」Credit

世界の水平線を繋いだら、海はひとつだった。

Photograph, Copy Writing: Kazashito Nakamura
Web Engineering, Design: Sayaka Kawashima
Direction: Maaya Hoshi(At Sea Day)